2018年01月01日

あけましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
一歩前へ、の年にしたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。
posted by えるか at 18:12| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

マサヒロくん

  • 20171227200007752.jpg


毎度ピンボケ寸足らず画像で申し訳ありません。

テレビで大阪通天閣での年の瀬恒例、
「干支の引き継ぎ式」のニュースが流れ、
3回も命拾いをした奇跡のにわとりマサヒロくんが、
出ていたのでつい、、、、。

天王寺動物園のにわとりマサヒロ君は
元々はタヌキの生き餌として入ってきたのですが、
たまたまマガモのヒナの食事の先生となり、
その後イタチのおとり餌となるもイタチが現れず、
大型獣の餌となるはずが申し出が無かったという、
「奇跡」のにわとりなのです。
今では「会えたら幸せになる」とまで言われる人気者に。

この秋、
公園のフェアーに出張してきていた
マサヒロくんを発見!!

始めは2匹の子ヤギを見に近づいたのですが、
テントのすみっこでケージを発見。
中にはにわとりが、、、、、あれ?!もしかして、、、

「マサヒロくんですか?!!」
と飼育員さんに聞くとそうだとのこと。
覗きこんでいるとケージから出してくれたのでした。

とっても大きなにわとりで羽もふさふさ、
蹴爪も立派でした。
おとなしいマサヒロくんは私が差し出す草も食べてくれました。
飼育員さんからおやつに食パンをもらっていました。

マサヒロくん、
戌年になっても元気でね〜〜。


posted by えるか at 19:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

同窓会

12月になってから届いた封書の中には
中学校の還暦記念同窓会の案内ハガキが入っていた。
「宛先不明」のハンコで返送されたその葉書には
20年近く前の仙台の住所が書かれていて、
忘れてしまっていた番地をしばらく見入る。

締め切りをとうに過ぎた葉書には、
「遅れてすみません。○○さんに住所を聞きました」
と添え書きがあって、最終締め切り日を手書きで
大幅に延ばしてあった。

中学校か、、、。
同窓会には一回しか行ったことが無い。
それも高校、二男が生まれてしばらくの頃だった。
まだ若く幸せだった頃。

同窓会に行ける人は、
幸せな人、普通の人、人生を大きく外れてしまっていない人だけ。
同窓会は遠い存在だ。
幸せだった時に行った時も、
別段楽しいわけでもなかったけど。

さてどうしよう。
中学校にはいい思い出がほとんど無い。
高校に入った時、ホッとして、
なんと居やすい空間であることか驚いたほどだ。

一回も行ったことない誘われたことない中学校の同窓会だけど、
こうやって探して送ってきてくれたんだから行ってみようか。

楽しかった思い出を思いだそうとするけど、
嫌だった記憶しか戻ってこない。

懐かない私にイヤミを言う教師や、
ひいきしている生徒のために私を役から降ろした音楽教師。
クラスの中心グループの目の上のたんこぶだった私は
均衡を保つのがけっこうしんどかった。
学級委員はしていたから孤立ではなかったろうけど、
精神的には孤独だった。

でも、もうそんな事も忘れて一回いってみようか。
消息を幹事に知らせてくれた旧友に連絡を取ってみる。
教師だった彼女は定年を迎える。
地元の同窓生同士で時々会っている話や
親の介護をあっけらかんと明るく教えてくれる。

「誰と仲良かったん?部活何してたん?」
仲のよかった子が一人いたけど疎遠になった。
心音に異常があったので運動部に入れなかった。
仕方なく入った文化部の活動は楽しくなかった。

どうしたものか、と現在の友人に電話してみる。
人あたりよく友人の多い彼女は同窓会には行ってないという。
「もう遠く離れているし話すことなんてない」

別の友人が高校の還暦同窓会で以前のグループと再会し、
以来、月一回会っている、という話をきいていた。
「でもどんどん間隔が空いて、、、、
 今までの人生が全然違うんだもの」

迷い迷って、
結局、欠席にしてお礼の文章を添えて返送した。
とたん、胸のつかえがとれた。
行きたくなかった自分に気づく。
一回くらい行かねばならぬと、自分を追い込んでいたのだ。
こんなだから友達が増えないのかも、、、との自責の念は残る。

後日幹事の元同級生の男性から電話をもらう。
よく喋る彼は活躍している同窓生の名前を次々と挙げて
消息を教えてくれる。
役者あり医者あり裁判官あり有名な演出家あり。
彼らとどんなに仲良くやっているかも。

(え?その人たちはあなたとは
 同じ中学でも高校でもないやろ?)
とは思っても彼にはおなじく同窓であり、
等しく友人であるらしい。

彼の話は面白く、会話も弾んで、
欠席で出したことを少し後悔した。
なんだか私だけが遠く離れ、
面白くもない不幸な人生を歩んできたのか、とも。

しかし、後日落ち着いて考えてみれば、
なんか違うやろ、、、と違和感を感じ、
自分とは違う世界なのだからこれでよかったのだ、
とけりをつけたのだった。

まだ先の長い人生、
これから出会う縁のある人たちを心待ちにしながら、
今の縁を大切にしたいと思う。

posted by えるか at 19:56| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

家守綺譚

『家守綺譚』(いえもりきたん) 梨木香歩 著

綺譚とは不思議な話の意。
ボートの事故で亡くなった親友の実家の、
家の守りを頼まれた主人公は、かけだしの作家。

彼が借りた家は、
北は山、南は田んぼ、そして田圃のために
疏水から引かれた水路の途中が家の池になっていて、
縁側の柱は、池の中の石の上に据えられている。
主人公は縁側から釣りが出来る。

床の間の掛け軸は水辺の葦の風景で、
白サギが魚に狙いをつけているという図。
ある夜そこからボートが現れ、
そこには亡くなった親友高堂が乗っていた。
以来時々高堂は姿を現すようになる。

物語はサルスベリや都わすれなど植物の章に分かれていて、
どれも現実の世界でありながら異界の話が散りばめられていて、
河童やカワウソ老人が当たり前のように出てくる。
人々は普通に生活していながらも、異界と淡々と交わりがある。

主人公が驚くでなく、当たり前に受け止めて生活しているところが、
この秋とても辛かった私には自分もそこに行けるような、
気持ちがして随分と心が和んだ。

何処からともなく現れ、高堂に言われ、
仕方なく飼うことにした犬のゴローは、
実は異界では有名な犬で、
いなくなったゴローを探しに主人公が旅をするのは
この小説の続編といえる
『冬虫夏草』(とうちゅうかそう)
前作から9年後に書かれている。

イワナの夫婦がやっているという宿を目指しつつ
ゴローを探す道中に会う色々な綺譚話。
人に紛れたタヌキやキツネやムジナなど動物も多く登場する。

あっという間にこの2冊を読んだのに、
何ヶ月もここに書けなかった。
そろそろ私も人間に戻らねば。

作者は『西の魔女が死んだ』を書いた人でした。



posted by えるか at 19:43| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

猫のおしり

いつからだろうか、
森に入っても木の匂いを感じなくなった。
同行の人に聞くと森はむんむん匂っているらしい。
最近の私はかすかな花の匂いが感じられないのだ。

この春は沈丁花の香りがわからなかった。
姿は無くとも匂ってくる強い香りなのに。
それでも(あれ?)と思ったくらいで
そんなに気にしていなかった。

でも秋がきても金木犀の香りもしなかったし、
なにより最近自分の体臭を感じない。
連日着たブラウスが全く臭ってこなかった。
もう体臭も薄くなる歳なのだといいように思ってた。

猫の糞も臭わず、
それは猫砂と餌の機能向上と思い込んでいた。
最近、家に無香空間を置かなくなった。

ところ少し前テレビで、
匂いのわからなくなったおじいさんが
食欲もなくなり無気力になりウツ状態のようになっているのを見た。
治療を経て、おじいさんはまた元気になり食も進むようになった。

あれ?自分も?と思うようになり、
先週、森歩きをした時、意識して嗅いでみたけど
やっぱり何も匂ってこなかった。
もう決定的だった。
全く匂いがわからなくなっていた。

私が森林が好きなのは、その匂いが好きだからだ。
一番の楽しみが無くなるのはおそろしい。
テレビ番組によると、特効薬はなく、
保険外で色んな匂いを日々嗅いで治療していたようだ。

自分が臭っているのに気がつかないなんて、
これはえらいことになった。
さすがに耳鼻科に行きました。
しかし鼻カメラで中をみても特に悪い所はないとのこと。

瓶の匂いを嗅いで、それが何か答える検査をした。

「これは?」
「、、バラです」

「これは?」
「、、、、わかりません」

「これは?」
「、、、わかりません」

「これは?」
「、、、プリンです」
「カラメルですけどね」

「これは?」
「、、わかりません」

「これは?」
「、、、、、、猫のおしりの匂いです」
「、、、、、、、、」

「これは?」
「、、、、猫のおしりの匂いです」
「、、、、、、、」

「これは?」
「猫のおしりの匂いです」
「、、、、、普通、汗のにおいと言いますが」
「、、でも、猫のおしりにしか、、、、」


検査はそこで終わった。
改めて後日時間をとって検査するそうだ。

帰ってから友人に言うと、
「あんた!それ、とんでもない患者やで!
 猫のおしりのニオイなんて言う人おるか?!」

と言われて初めて気がついた。
そう言えば、検査の前に先生は紙をくれた。
今から思えばそこには匂いの答えの例がちゃんと書いてあった。
そこから選んで答えるべきだったのだ。

それを無視して「猫のおしりのにおい」
なんて連呼した私は診察室の笑い物だったに違いない。
看護師さんの間で「猫のおしり」と呼ばれているかもしれない。
「ほら、『猫のおしり』が来てるよ」とか。
でもね、確かに全部、猫のおしりと同じだったのよ。

診察室を出る時、今から思うと皆笑ってたような気がする。
次回予約を15時を10時と聞きちがえて
会話にトンチンカンになってしまった時、
先生は「大丈夫ですか?」と言っていた。
とんでもない患者が来たもんだ。

要治療。

posted by えるか at 21:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

年賀状

添え書きに、
「還歴」と書いてしまい、
「還暦」と書き直しています。

なんかおかしいと思いつつ、
何枚も書いてしまいました。

出す前に気がついたことが、
せめてものなぐさめ。
posted by えるか at 17:43| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月14日

カズオ・イシグロをさがして

2011年の4月に放映したETV特集の再放送、
『カズオ・イシグロをさがして』
を見た。

今年度のノーベル文学賞受賞者、
カズオ・イシグロ氏が、映画化された
『わたしを離さないで』の公開に合わせ
来日した時のインタビューを交えた番組だった。

番組はイシグロ氏の原作『わたしを離さないで』を中心につくられていたが、
イシグロ氏自身にも焦点があてられ見ごたえがあり感銘を受けた。
彼の問いかける普遍的な問題、「あなたはどう思う?」

臓器提供のためクローンで作られた主人公は、
自分の時間が限られていると知った時、
過去を振り返り、仲間を思い出そうとする。

生まれたのは残酷な世界で、多くのものを奪われ、
ほとんどすべてを失った。
彼女は思い出を鮮明なまま消えないようにとっておこうとする。

イシグロ氏の作品は誰かが過去を回想することが
とても重要であると繰り返されている。

ここで登場するのが福岡伸一さんという分子生物学者。
時々テレビで見かける人だけど、
まぶしそうな目をした背の高い真面目そうな人で、
どことなくユーモラス、
不思議な雰囲気の人で何者だろうとずっと思っていた。
まさかカズオ・イシグロの番組でお目にかかるとは。

科学者でありながら彼の新聞のコラムを読んでいると、
たいそう文章が上手くわかりやすく、公平で俯瞰的だ。

大のイシグロファンであるという福岡伸一氏が
カズオ・イシグロが5才まで育った長崎を訪ね、
実際にイシグロに英語でインタビューする、というところがあり、
その内容の深さにびっくりしたのである。

英語をペラペラと喋れる人のインタビューは
台本があり、おしきせで通りいっぺんという印象だけれど、
学者の訥々とした、しかも正確で深い直接の英語での質問に
かなり心魅かれた。

福岡氏はイシグロの作品を「謎めいている」と言う。
その通奏低音を探したいと前置きしている。

福岡伸一
「『記憶』は操作されている。

 繰り返し思い出すことで
無意識に美しく変更されていると思います」

イシグロ
「ノスタルジアはとても興味深い。
 ほとんどの子どもは守られている。
 大人は世界がまるで美しいもののように必死に装う。
 そうではないと知った時、子どもは喪失感を感じる。

 ノスタルジアは決して存在しない、
 理想的な記憶です」

福岡
「文体は慎重にきめ細かい言葉遣いをしている。
 極小さい昆虫を解剖しているかのようだ」

イシグロ
「小説家は人間の感じ方について想いを巡らせることと思う。
 人間に内存する感情を伝え、
 『これはあなた自身の感情でもあるのでは?』と
 問いかけています」

イシグロ氏は24歳の時、ホームレスの福祉施設で半年働く。
「追い詰められた人間に対し、
 ある種の敬意を持つようになった。
 全てを失った時、
 いかに自分を鼓舞するか、
 いかに尊厳を保つのか、その手段を学んだ。
 この経験がなければ小説家にならなかったかもしれない。

日本に帰国すると思い込んでいたので、
帰るべき日本は重要だった。
しかし頭の中で作りあげた日本は現実の日本ではなかった」

福岡
「人間の細胞は変わって行くのに、
外見は同じである、これを動的平衡と言いますが、
あなたの作品の中に同じものを見る。

あなたは記憶について書いている。
過去の記憶、個人の秘めた記憶、感傷的な記憶。

ある学者が体の細胞は我々自身のものではないことを発見した。
我々は流転している。
すべてはとりかえられ退化し、再び合成している。
身体は固体でなくむしろ液体である。
さらに長くみると相互に作用する気体である。

では生命が「動的平衡」であり、肉体に完全に基づくものでないならば、
どのようにアイデンティティを保てるのか。
どうして私は一貫した存在で、私は私であるといえるのか。

答になりうるのが記憶です。
記憶はあなたの小説にとくに大切と思う」

イシグロ
「青年へと成長する間に「日本」と呼んでいた大切な場所が
 現実には存在しないことに気がついた。
 徐々にいろんなことが色褪せていった。
 
28年前『日の名残り』でブッカー賞をとり世界に躍り出たイシグロは
その前年に英国籍に変えている。
「英語教育だけで育った日本語が話せない私には
日本は最も訪問の難しい国なのです」

「この作品で人間にとって何が大切かを問いかけたかった。
 人間が利益、権力だけに飢えた動物でないことを提示している。
 そして、人間性に対しては楽観的な見方をしました。
 
 赦し、友情、愛情こそが、人間が人間たらしめる重要なことだ。
 落胆ばかりしてほしくない」

福岡
「あなたのもう一つのテーマは『大人になること』だと思う。
 人々はおとなになることを成長、進化、蓄積、達成とする。

 しかし全く違う。
 あなたの小説は大人になることは、
 ある種の衰え、退化であると、
 あるいは辛い記憶に向き合い過去と折り合いをつけることだと思う」

イシグロ
「大人になるにつれ、世界は優しく親切な場所でないと気付き始める。
 『死』も『悪』も理解する前に存在している。
 それを心の底から理解していない、口先だけで理解しているのだ。

 大人になるには、
 自分の至らぬ点を認め、自分を赦すことだ。

 現実には人生は困難だが、
それでも折り合いをつけることを学ぶべきだ。

自分に完璧を求めてはいけない。
自分の至らない点を受け入れる術を学ぶこと。
それが大人になる上で重要なのです。

記憶は死に対する普遍的な勝利であり、
死に対する慰めで、誰にも奪う事はできません」




イシグロ氏の
「子どもは世界を美しいものとして大人に守られている」
というところでは、
大人に守られず、世の中は辛いもの、
そして人生は生きるに値するものである、と思えず育った子ども
(私だけでなくそういう人も世の中にはいるだろう)
はどうなるのよ、、と
実はそこはちょっと哀しくなったのだ。

私の子どもの頃の『記憶』は暗く、嫌なものばかりだ。
うつくしく懐かしい記憶などあっただろうか。

そう思い込んでいる「記憶」はほんとうにそうなんだろうか、
勝手にそう思い込んでいる、
そう自分で作り出しているだけなんだろうか、
ひょっとしたら明るく温かいものだったかもしれないのに、
自分の歪んだ心が記憶をいびつに作り変えているのだろうか。

イシグロ氏のインタビューに聞き入りながらも、
この疑問はそれこそ通奏低音のように心に蠢きざわついた。

しかしながら、
「大人にになるには
自分の至らないところを認め、自分を赦すこと。
現実には人生は困難だが、
それでも折り合いをつけることを学ぶこと。

自分に完璧を求めず。
自分の至らない点を受け入れる術を学ぶこと」

という言葉に冷えきった心はほの温かくなったのだ。





来年1月3日 9:45〜
『完全版 カズオ・イシグロ 文学白熱教室』
が放映されます。

完全版というには以前の放送はカットされた部分があったのだろう。
「過去に目を向けられるほどに日本は強くなっているか、
 過去が遠ざかっている今、
 目を向けることは簡単だろうか」
という日本の戦争責任の話が出るのかもしれません。



posted by えるか at 19:46| テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

壊れている

どこか壊れている人間だったのだ、、、
そう自分の事をおもってしまうとわりと楽だ。

自分のことをいたってまとも、
そう思っていたのは幻だったのだ。

何をもって普通というかはわからないけど、
世間的には立派な親はかなり偏っていたし、
自分だけはそうじゃない、と思っていたのも
思い込んでいただけだったように思う。

それが証拠にべったりと仲のよい親子が信じられないし、
自分では真実を見ているつもりで物事を斜に見て
心は孤立していく。
人は毎日何を考えているんだろう。
考えてないのかな。
私はどこか根本的におかしいのかな。

どこか壊れているんだ、と思えば、
そんな自分に諦めもつき、許せるような気がする。
なんだか自分の船だけが違う方向に漂っていくのも、
もう仕方ないような気がするのだ。

「人の一生は、
 自分の良くないところ、足りないところを
 繕っていくものだ」
と樹木希林さんは言ったけど、
そういうことを放棄したくなっている今日このごろ。

自分を俯瞰することを放棄したら、
ちょっと危ないのかな。
歳を取ったのだろうか、なんとかしようという気持ちが
ものすごく薄れていっている。
開き直りというかふてぶてしい人間になっていくのか。
posted by えるか at 20:55| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

モテ日

何年か前に買ったジャック・ゴムのバッグ。
買った当時は「なにそれ〜?!」とうけていたが、
このところ誰にも何も言われず、
ちょっとくたびれてきて先日は猫に吐かれた。

「オーラの無くなってきた物は、 
 もう務めを終えたのだから捨てなさい」
という地曳いく子さんの教えに習って捨てようかと思っていた。

が、しかし、
このジャック・ゴムというブランドのロゴマークである
オッサンとオバハンのマーク(ブランドのデザイナー)が
私はいたく気に入っていて、
普段はタグにしかついていないオッサンが
これでもか、とちりばめられているバッグは30周年記念だからこそ。

どうしても捨てきれず、久々持って出かけた。
するとどうした訳か会う人会う人に
「わあ、可愛い!」
と声を掛けられた。

ペインクリニックの看護師さん、ホールの事務員さん、
化粧品カウンターの店員さん、ショップの店長さん。
こはどうした事ぞ、息をふきかえしたのか。

調子に乗って今日も持って出かけたけれど、
今日は誰にも何も言われませんでした。
その日の服装とか勢いとか色々あるんでしょうね。



  • 20171122205124605.jpg
posted by えるか at 20:49| 買い物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

ナギの木

新聞に「大阪の阿倍王子神社にまつられている、
八咫烏(やたがらす)の陶器のおみくじが可愛いと評判」
と書いてあったので、早速行ってみた。

陶器のおみくじはなかなか可愛らしくつい買ってしまうのだが、
普通のおみくじより少し高いからかたいてい大吉や中吉である。
(凶は入ってないように思う)

目指す阿倍王寺神社はとても小さな神社で町の中にあり、
大きな神社を想像していた私にはちょっと拍子抜けであった。
境内では七五三の写真撮影が行われていた。

晴れやかな親子連れの中で不審者である私は
めざす「八咫烏おみくじ」に突進したのであるが、
新聞に出たので何個か売れたらしく箱に巫女さんが
つぎ足しているところを1ついただく。

八咫烏のお腹から出てきたおみくじは中吉であったが
内容はあんまりいいわけではなく、ひたすら「我慢せよ」だった。
まあ最近の私には妥当な話である。

烏だから当たり前だが陶器は黒く、こんな黒いものを
家に飾るのか、と思うと買っておきながら気が重い。
私は黒という色が嫌いなのである。

しかし新聞記事によるとこの烏は
「ナギの葉」をくわえているらしく、
その葉は好きな緑色なのでまあいいか、、、。

カラスと言えば黒く大きなクチバシが特徴だけど、
この八咫烏さんは小さなクチバシと丸い胴体で
まるで黒いヒヨコ饅頭のようである。

「ナギの木」ってそんな木があることも知らなかったが
まっすぐな葉脈で「寄り道せず願い事はかなうように」
との意味がこめられているそうだ。

まあ、阪堺(はんかい)電車というチンチン電車に乗れたので
よしとしよう。


  • 20171124104749331.jpg


ところでその三日後、
奈良の春日原始林の講座に参加した私は、
まさにその「ナギの木」に遭遇したのである。

ナギの木は熊野と春日(奈良)にしか存在せず、
神様の木である、とのこと。
そういうと熊野那智大社には八咫烏がいたと記憶する。
他の木を寄せ付けない物質を出すので
ナギしか生えない純林をつくるそうだ。

まあちょっと心が狭い木、という印象も否めないが、
神様の木ということでおおいに満足したのである。
posted by えるか at 17:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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