2015年07月06日

蓮の花

仏さんの花として蓮は知っていたけど、
絵でなく実際に花を見たのはほんの数年前だ。

モネの睡蓮と間違えられるけど、
蓮は葉も花も水面からかなり高く伸びて咲く。
水面すれすれに咲いているのは睡蓮。

蓮の実である花托はハチの巣みたいで、
こちらは花材として花屋さんでお盆の頃見かける。
穴に古布を入れた手芸を見た事もあるけど、
ハスの花って見た事なかった。

レンコンが蓮の地下茎で池の泥の中に出来、
大変な思いをして人が収穫をしているのだから、
ちゃんと食べなさい、と子どものころ言われたけど、
美味しいと思うようになったのは成人してから。

花は早朝開いて昼前にはその姿を閉じてしまう。
開く時に「ポンッ」と音がするのは本当なんだろうか。

「近所に咲いているよ」
と友人が連れていってくれた池で群生を見た時、
その美しさに息をのんだ。さすがお釈迦さんの花。
真ん中のめしべ(なの?)が黄色くて小さいながらも
ちゃんとハチ巣の形をしていることに感激。

以来、蓮の花が大好きになった。
残念なことに近所に蓮が咲いているような池はない。
昨年は早起きして(なんせ陽が高くなると閉じてしまうのだ)
琵琶湖の群生地まで電車とバスを乗り継ぎ見に行った。

西日本最大級と言われる蓮は素晴らしかったけど、
まあ暑い日で整備されたコンクリート道の照り熱で
倒れそうだった。
もうちょっと近場で探したい。

蓮の花の咲く季節になった。
花言葉は「清らかな心」。
posted by えるか at 22:09| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

予感

郵便受けに見知らぬ女性からの寒中見舞いが入っていた。

文面に友人の名前を見つけ、
さあっと血の気が引いた。

差出人の住所は覚えがある。
そうだこの人は友人の妹さんだ。

友人は亡くなっていた。
10ヵ月の間、私はそのことを知らないでいた。
予期しないことではなかった。
(ああ、やっぱり、、、)
のろのろと階段を上がって家に入った。

18年前東北にいた時1年だけ近所に住んだ。
息子の同級生の親御さんだった。
妙に気が合い市内で引っ越した後も
一緒に買い物に行ったりした。

ここ数年年賀状が来なくなった。
私は彼女が大好きだったので出し続けた。

時折ふらりと葉書や手紙をもらった。

「息子が神戸で就職しているので関西に行った時には会いたい」
幾度かそう書いてあった。

体調がすぐれないことが伺える文面が少し気になったけど、
こちらから聞くのは失礼なような気がしてそのことには触れなかった。

彼女からの手紙の文面が、
一緒に居た頃を懐かしむような事が増え、
自分を明るく奮い立たせようとしているかのように感じ
私は少し嫌な予感がしていたのだった。

本当の事を言うと、
予感というよりもたぶんもう駄目なんだろう、と
確信に近いものを感じていた。
会いに行くべきだろうかとも思った。
でも行かなかった。

「いつか 女2人旅 なんて出来たら素敵!
 それには健康でなくちゃね。 
 お身体 大切にね。
 又、お会い出来る日を楽しみに 
 楽しみに待っています」

彼女からの亡くなる2カ月前の手紙だ。
これがそんな時に書かれたということを今頃知るとは。

元気になって会いたい、
そういうことだと思っていたけど、ひょっとしたら、
会いに来て欲しいということだったのだろうか。
そうだったとしたら、、、

I さん
いつか女2人旅しようね。
私たち似た者同士だしきっと楽しいよ。
また会える日を楽しみに楽しみに待っています。

おつかれさまでした。
ありがとうございました。
どうぞ安らかに
posted by えるか at 00:17| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月07日

友?

親友とは?
友人と知人の差は?
友達がいない、、、

なんてことはもう昔話になった。

メル友・ママ友・趣味友・犬友(散歩)・飯友、、
今やもういっぱいあるらしい。

私が思うにそれらは友人でなく知人であり、
友とは何があろうがまたは無くなろうが、
いつまでもお互いに気に掛けているものなのである、、、

なんてこと言ってると、
(はて私に友達っているのか、、、)

、、なんて悩まなくていい『〜友』
軽く言ってしまえば気が楽?

付き合っていると
(この人にとってこの事に関してだけの利用価値のある私なんだなあ)
と感じる人がたまにいる。

その事が終われば当然のごとく疎遠になることを当たり前とする人。
そういう人ほど意外と付き合っている時は密である。
それは友達とは言わないだろう、、期間限定の友?
なんて思うのは一つの価値観でしかないのだろうか。

人に対しての期待値が低い時代なのか。
傷つかなくていいし責任もない軽い関係。
大人と言えば大人かもしれないけど、
皆それで本当にいいのかな。




posted by えるか at 23:10| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月20日

どっちがいい?

トムソン・ガゼルをご存じですか?
アフリカのサバンナにいる草食動物です。
とてもかわいい姿で鹿に似ていますがウシ科です。

集団で生活し時には1000匹を超える大所帯になるらしい。
ヌーなどと同様、集団で生活をすることにより、
生き残りに成功した草食獣であります。

対してこれを獲物にしているのが、
肉食獣のライオン、ヒョウ、チータ、ハイエナ、リカオンなど。

百獣の王ライオンといえどもきびしい自然界の掟で、
そうそう楽々と暮らしているわけではないのは周知の事実。
世界最速のチータも持久力が無く狩りが下手で、
なかなか餌にありつけないとか。

対してガゼルなど草食獣は数で圧倒しており、
その数の倍の目でいち早く危険を察知し、
仲間や子どもを守っている。

そこで質問です。
あなたが動物になるとしたら、
ライオンやヒョウなど肉食獣がいいですか?
それともたくさんの仲間がいるガゼルがいいですか?

私は猫科の動物が好きで、
サバンナには居ないけど孤独に闘うトラやジャガーが好き。
ライオンは群れを作るからそうでもないけど、
ヒョウに憧れます。

ヒョウやチータが獲物を必死で追いかけている時、
獲物がどんなに可愛い動物であろうとも、
(そらがんばれ!追いつけ!捕まえろ!)
と密かに応援しているのだ。

友人となにかの話題からどっちがいいかということになり、
私が「そんなのライオンやヒョウにきまってるやん」
というと友人は、
「え〜〜〜っ!!!私はガゼルがいいわ!」
「え〜〜〜っ!どうして??」
「大勢と一緒がいいのに決まってるやん。一匹なんてまっぴら」
「そんなの外にまわされて食われるかもよ、
 あんなに弱っちいのにそれでもいいの?」
「私は絶対中の方で守ってもらうわ」
「私は孤独でも自分で闘うわよ」
「信じられない〜〜〜」

とお互いに相手の選択をびっくりしたのである。
ワタクシ、皆がライオンを選ぶと思っていたので、
まだまだ修行が足りないと思いました。

さて、あなたは?
posted by えるか at 23:58| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月06日

星座と血液型

友人A(A型)は困ったことに、
彼女の周りにいるB型の人々と私を、
どうやらごちゃまぜにしているようだ。
私?もちろんB型だ。

しかし彼女の周りのB型の話を聞くと
その人たちと私は根本的に違うと思う。
一緒にしないで〜〜!

友人AはA型なのにまわりにB型が多いそうである。
敵対するAとBにおいて不思議なことだと思う。
そういう私もA型の人と仲良くなることも多い。
自分と全然違うので勉強になる。

ついこの間は、
アンサンブルのパート長の男性を、
(何型だろう?
 B型ではないな。A型かO型か?)
と思っていたら、
なんとB型であり星座まで私と一緒であった。
誕生日も近く驚愕した最近の一件である。

そうしたところにAB型友人から
面白いサイトを紹介してもらった。
題して『星座と血液型』
12星座と血液型の組み合わせ、全部で48通りの性格判断。

これ面白いです。
普通こういうのって悪い所はオブラートにくるんであるものだけど、
ちょっと私情も入ってズケズケ書いてある。
そんで結構当たってると思います。

私はやぎ座のB型。
A型の性格を持つやぎ座にB型ってどうしたらいいんよ、、、
と前々から思っていたけど、
案の定、
「しんどい組み合わせです。
 楽々と人生を送っている人がいません」

と書いてあった。
やっぱり、、、、!

しんどいのは私のせいじゃく、
生まれ持った星と血液型の組み合わせのせい、、、
そう思うと慰められ気も少し楽になろうというもの。

家族を見てみると、あぁぁ、、、、、
私の母も、
「困った組み合わせです。
 被害妄想と批判精神でさぞかし扱いに困る事でしょう」
と書いてあった。

少し母が気の毒になった。
母は困った星の下に生まれてきて、
そして自分の娘もしんどい星の下、、、、、
親子してしんどい、、
しんどさも拍車がかかろうというもの。

そう思えば母も可哀相、
なにもかも運命のもと、
それでも頑張って生きているじゃないか、
とちょっと同情してしまったのであった。




友人が紹介してくれたサイトはこれです。
『星座と血液型
実はこれを紹介したくてこの記事を書きました。

うまくつながらない時もあるけど
日を変えてやると繋がります。

以前の血液型関係の私の記事は以下です。
よろしければご覧ください。

『知らなかった』

『今年流行ったもの』
posted by えるか at 17:31| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

目出度い

ちょっとだけ年上の友人が再婚しました!。

苦労してきた子なので、
本当によかった。
幸せになって欲しいです。

で、
著しく出遅れている自分に気付きました。
出遅れどころか戦線離脱しています。

こんなことではアカン、、、
posted by えるか at 00:07| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

どう見える?

久しぶりに会った友人に、
「ブログにあんた自分のこと
 『家庭的』って書いてたやろ?
 私めっちゃショックよ!
 あんたは私と一緒やと思っていたのに!」

と言われて、そりゃこっちがショックよ。
(『祈り』参照)

「あんたと私は全然違うよ」
と言うと、
「どこが違うんよ!」
と怒っていた。

彼女はとっても面白い人で大好きなんだけれども、
私とは正反対の人だ。
だからいつもうらやましく思っているんだけど。

しかし、彼女が考える私ってどんな奴なんだろう。
家庭的、、、っていう言葉が悪かったかな。
家族べったりという意味ではない。
家事を完璧にこなすのでもない。
でもけっこう家庭生活は好きなのだ。

家庭科はいつも5だったし結構器用だ。
物を作ったり育てたりは好きなのだ。
家庭的に見えないのは分かっているけど、
外見がものすごい勢いでオバサン化しているので、
こうなったらせめて家庭的に見て欲しい。

ところでかなり親しい友人に、
いまいち自分が認められていない、、、
そんな気がすることはありませんか?
私だけでしょうか。

「ほら、あのきれいな人、」 (あの程度やったら私だって、、、)
「あの人、可愛い感じやね、」(あの程度だったら私だって、、、)
「あのお金持ちの人、」   (あの程度だったら私だって、、、、)
「あの人は賢いね、」    (あの程度だったら私だって、、、)
「あの上品な人、」     (あの程度だったら私だって、、、)
「あの人、若く見えるわね、」(あの程度だったら私だって、、、)

とまあ、こんな感じ。
で、彼女には一度としてワタクシ褒められたことはありません。
なぜだか彼女が褒める人を、
私はいつもあまり好きではないのです。
彼女自身はいい人で好きなんですが、、

その彼女がこの間、昨年撮った私のスナップ写真を見て、

「あら!これあんた?!え〜〜??
 随分とスマートやん、
 それにまあ若く写って
 別人みたい」

ワタクシ傷つきましたです。



posted by えるか at 01:05| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

私もよね、、

同世代の友人たちが、
この前と同じ話を、
またします。

posted by えるか at 00:42| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月24日

救われるということ

『シークレット サンシャイン』を見た。

韓国映画は苦手だが『オアシス』
を撮った監督と知って見たかった。
この監督の映画は
普通の顔の人が出ているからほっとする。
(そんなことでホッとされても迷惑だろうが)

整形大国と言われる韓国映画は、
皆同じ顔。
私は好きじゃありません。
やたら喚くし泣くしうるさい。

主人公は夫を交通事故で亡くした、
小さな子どもを持つ女性。
夫の故郷にやってきてピアノ教室をひらくが、
どことなく不安定な人だ。

土地を買って投資をすると
近隣の人に言いまわるうち、
子どもが誘拐され殺されてしまう。

彼女は苦しみの中、宗教に救いを見出し、
熱心な信者となっていく。

(この映画を見ようと思っている人は
 このあと15行ほど読まないで)

やがて犯人を許したい、と刑務所を訪ねる。
ところが出てきた犯人は、
彼女が許すまでもなく、服役してすぐに宗教に目覚め、
「私は神に許され、毎日が幸せで、よく眠れます」
と血色のよい顔でしゃあしゃあと答える。

犯人を許したつもりになり
自分が許そうと思っていた彼女は
勝手に幸せになっている犯人をみて
精神を病み追い込まれていく。

最後、鋏で切った乾いた髪の毛が
荒れた地面を這うところであっけなく映画は終わる。

本当に赦すということは、
人間には難しいのではないか。
そんな気持ちになることはあっても
それが出来るのは神だけのような気がする。

韓国は熱心なキリスト教国だと記憶しているが、
この映画は社会批判も入っているのか。
『オアシス』も障害者の愛を描きながら
痛切な社会批判だったように思う。

私もよく宗教に誘われた。
溺れる者は藁をも掴むで、
お経を読んだこともあるし、
教会に行ってみたこともある。

でも、私は、「違う、、、」
と思って信仰には入り込めなかった。
自分を宗教で救われることはないタイプの
人間だわかっていたからだ。

私にとっては逃げのような気がした。
逃げられるものなら逃げたかったけれど
自分を騙しているような気がした。

宗教は人間の苦しみから生まれたと思う。
信仰を持たない私だが、
生きる上での大切なよすがとなるだろう。
光を求めるのは人間として当たり前だ。

でも私は思う、
自分を救うのは、やはり自分なのだ。

今、つらい思いをしている友達よ。
藁を攫み泥を飲み、どんなことをしてでも、
絶対に這い上がってきてほしい。
posted by えるか at 01:09| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

今年流行ったもの

ニュースで今年流行ったもの、として
『B型 自分の説明書』があがっていた。

そうですか、そんなに売れたですか。
私も読んだし買ったし。
『A型 自分の説明書』まで買って読んで驚愕し、
日本人の常識を知り、
今までの自分の無知に呆然としたのであった。

この顛末は以前ブログに書いた。
(5月2日付 『知らなかった!』)
そのニュースのインタビューで
「どうしてB型だけがこんなに売れたのでしょうか?」
と聞かれた出版社?の人らしき人が

「ほら、B型って
 何考えてるか分からないじゃないですか?
 だから知るために買ったんじゃないですかね」
と答えていた。
その憮然とした答えように
(あ、この人はA型で、B型が嫌いな典型的な人だろうな)
と私は想像した。

しかし、ニュースでそんな解説をした出版社の人の映像を流す?
編集した局の人もA型なのか?
そんなにB型って嫌いですか?

たしかにB型と言っただけで顔色の変わるA型の人は多い。
A型とB型のあまりな違いは
私もその本を読んでびっくりしたので
水と油なんだと思う。
でもB型はそこまでA型を嫌ったりしないけどな。

人に嫌われることを恐れずに言うなら
(読んでくれている人はいろんな血液型なので
自分だけは例外と受け取ってください)
(読んでくれている人を攻撃したことは一度もないと思うので)

私の血液型に対する印象は
突き詰めて一言で言うなら、

A型 結局冷たい 自分だけがかわいい
O型 最後は怖い 敵に回すとおそろしい
AB型はほとんどいないのでよくわからない
    ただ、敵にまわったことはことはない。
そして
B型 ・・・・確かに、何考えているかわからない
      言うことがコロコロ変わる
      言ってる事とする事が違う。 

でも誰だってそうだろうけど
血液型ですべて決まってしまうわけじゃない。
仲のいいA型もいれば顔も見たくないB型もいる。

そして男女差もある。
B型からみると
(これは私ともうひとりのB型友人だけのたった2人の統計ですが)

O型の女性は怖い。
(男性はO型OK 無神経なところを我慢すれば)
(友人も私も最近はO型の女性が全く周りにいない)
(O型の読者の人、ごめん)
B型の男性はアカン(女性はOK)

そしてこれは私の独断と偏見だけど
もし大飢饉が起きれば、
一番に死ぬのはO型だ。
O型は強そうに見えて実は脆い。
そして最後まで生き残るのはA型だ
いちばんしぶとい。
B型はその中間でいつのまにか果てるだろう。
(ABはわかりません、ごめん)

アンサンブル仲間にものすごく面白い人がいて
その人はA型だ。
自分のことをすごくまっとうだと思いこんでいる。

彼女は自分が天然であることに気付いておらず、
この私でさえ、ギョッとするようなことをよく口走る。
その発言が痛烈であったことがわかっていない。
でもおかげで言いたくても我慢してることを
たまにさらりといってくれるので
助かってます。意味わかってないけど。

「ねえねえ、テレビで言ってたけど
(B型の本のCMらしい)
皆がやる気があるとやる気が出なくて、
皆がやる気が無いとガゼンやる気が出るってホント???
信じられない!
そんなことがあるなんて!考えられない!
B型ってほんとに変わってるわね〜〜〜〜!!」
と私に急に話しかけ、
「、、、うん、、、、そうともいえるし、そうとも、、」
(いえない、、)という言葉はもう聞いていなかった。

どうも彼女のまわりには
B型の友人が何人かいるらしい。
「B型の人って決めたらやるのが早いよね〜〜〜!」
(決めるまでは何年もかかるけどね、、、)
(何事もケースバイケースですよ)

そして私が、
「あのね、A型の人は
気持ちをすぐ顔色に出すでしょう?
気を遣っていたり傷ついたりを。
でもね、
Bだって気を遣ったり傷つくのよ、
ただポーカーフェイスなだけなのよ。
気にする場所がお互いに違うだけなのよ」
と言っても全然聞いていなくて
「Bって変な人多いよね〜〜〜〜」
とBの私に面と向かって言う。

ある時、彼女がとても落ち込んで電話してきたので
私はとても気になって3日ほど忙しかったので
3日目に夜に電話をしてみた。

ウツになって寝込んでしまって
電話にも出ないのでは、、、、
と何回も鳴る呼び出し音にドキドキしていたら

「ハイ〜〜〜!!」

とものすごく元気な声で電話口に出てきた彼女。
「心配していたのよ」 と言うと

「え〜〜っ!
どうしてそんなこと心配するの〜?
なんでぇ〜?
B型の人って変よね〜〜〜!
びっくり〜〜〜」

って・・あのねえ・・・・・・

彼女は血液型より
天然がうんと勝っているのだろう。
まあ、そんな彼女ですが
私はけっこう好きな人なのです。
これからも天然のおもしろい発言が楽しみだ。

血液型であれこれいうのは日本と韓国だけらしいが
まあ、
遊びなんだからいいやん!

posted by えるか at 14:19| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

自分の感受性くらい

詩人、茨木のり子さんの詩に
『自分の感受性くらい』という詩がある。

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難かしくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ


と、いうものだ。
私はこの詩が好きだ。
ほんまに、その通りやな、と思うのだ。
自分へ戒めとして、
私はこの本は、珍しく自分で買った。

数日前の夕刊の記事にあったけど、
宝塚歌劇団には格好悪いことの箇条書きがあるらしい。
(その新聞が見当たらないのでうろ覚えだけど)
その中のひとつに
「つまらない、ちいさなことに落ち込むことは
大人ではない、格好悪いことだ」
とあった。

この言葉に、私は
座右の銘の一つに加えようと一瞬思ったほど、感銘を受けた。
私はすぐに、つまらない小さなことに落ち込むのだ。
そうか、そういうことは「おとな」ではないのだな、、、

でもまあ、これも性分なので、、、、、
それに小さなことを感じる感受性は大事だと私は思う。
スターになれないのは、これで判明したわけだ。

茨木のり子さんは、
一生独身のプロレタリアートだったのだろうと
勝手に想像していたのだけれど、
彼女は医者の娘さんで旦那さんもお医者さんで、
仲睦まじく過ごされた、と読んで、
私の、文体からの想像力は、
全くたいしたことはないとがっくりした。

そう、その人の書く文章は、
その人の核をなすものだけれど
その人の日常とは、また違うものなのだ、とは
私にもわかる。

茨木のり子さんの詩の中に『友人』というものがある。

 友人に
 多くを期待しなかったら
 裏切られた! と叫ぶこともない
 なくて もともと
 一人か二人いたらば秀

と、始まり、

 縛られるのは厭だが
 縛るのは尚 厭だ
 去らば 去れ

 略

 老若男女おしなべて女学生なみの友情で
 へんな幻影にとりつかれている


と、続いていく。

よくわかるけれど、
私はここまで言い切れるほど、潔くも強くもない。

私は数少ない友人を大切にしたいと思うけれど、
そんな私にも、もう縁を切りたい友人が二人いる。
(こんなこと書いた時点で、もはや友人ではないけれど)

どちらも、人の悪口が好きだ。
私だって人の悪口を言うことはある。
でも、会えばいつもそればっかり、
まるで私を憂さ晴らしのごみ箱のようにして
本人は言うだけ言って、せいせいして帰っていく。

こちらからは連絡は一切とらないけれど、
電話がかかってきたりすると、
ずっと無視をするわけにはいかない。
何回かに一度は出てしまう。

どうしてそんな人と、
私がずるずると付き合っているのかというと、
いっとき、その人に私が助けられたり、
慰められたりしたことがあるからだ。
その恩は忘れないけれど、
でも、もうその恩は返したぞ、と思い無視を決め込んでも、
なかなか縁は切れない。

反対に、私自身が人からそう思われている
可能性もあるわけだから、
そんなことを友人に思われないようにと
自戒はしている(つもり)

ところが、そういう人ではなくて、
私自身が大好きな、大切な友人が、
私の中で、いつの間にか、か、あるいは急に
大切な友人から、元大切な友人に、
変わっていってしまうことがある。

つい最近あった。

これには、ちょっと自分でもびっくりした。
これほどまでに、
彼女と私は違う人間であったのか、
と、突然気づいたのである。
そのきっかけは、人が聞けば、
そんなあほな、、、と思うようなことかもしれない。

寂しい気持ちと同時に
ちょっと救われたような、ホッとした気持ちになった。
家族思いで、自分のことにお金など使わず
パート勤めをする友人に、
実は私はものすごくプレッシャーを感じてもいたのだ。

でも、全く違う人間なのだ、と気づいたことで、
私はすごく楽になった。

彼女のことは今でも好きだ。
これからも親交は続くだろう。
posted by えるか at 19:14| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

その一言

実はこのところずっと落ち込んでいた。

本当に傷ついたこととか
深く落ち込んでしまったことは、人には話せない。

人に話せるようなことは、
まあ、その数歩手前であるとか、
もう過去のことになってしまって
ある程度自分の中で昇華できたことだけだ。

そんなわけで、私は最近、
とても人に話せないようなことが
立て続けに3つくらい起きた。
(このあいだブログに書いたこととは違うよ)

かなりの打撃で、
世界中の嫌われ者になってしまったような気がする。

世界中で、自分が一番愚かで、人様を傷つけまわり、
皆から浮いているような気がする。
気がするだけでなく、
実際にそうなのだと固く自分で思い込む。
道行く人が自分よりはるかに幸せそうに立派に見える。

恥ずかしくて情けなくて、消えてしまいたい。
いつもの私のウツがまたひょっこりやってきた。

最近自分でも変に元気で実は少し心配だった。
こうやってブログを立ち上げて、しかも幾人かの人に
教えてしまった。
そのことだけでも、おかしい。

落ち込んでくると
数少ない友人にブログの存在を教えてしまったことが
これまた後悔の元になる。
教えたことで
私がこのような人間であるとびっくり仰天して
もう友達でいてもらえないかもしれない。
自ら墓穴を掘るというやつである。
雉も鳴かずば撃たれまい、ということか(いやちょっと違う?)

昨日は週に2回しかない仕事のある日だった。
これでも自分の専門である仕事に関しては
これまで一度も穴を空けたことのない私は
自分にムチ打ってなんとか出かけた。

無理やり元気なふりして皆さんの前で喋ってきたが
人はそう簡単には騙されるものではないだろう。
(なんか元気なさそう、、、)皆さん気がついたであろう。

今朝は予定をキャンセルして家に籠っていた。
よくない徴候だ。
そしたら友人が
「ブログ面白かったよ。あなたの文章が好きだよ」
と携帯にメールをくれた。

私はこのメールに救われた。

ブログを読んだ人は皆、
私のことを軽蔑し、あきれ果てているだろう、と
激しく後悔していた私は
砂漠で水を得た植物のように、
地獄で仏にあったあいつのように
蘇るきっかけを与えられたのである。

しばらく近づくことのなかったチェロの練習も再開しよう。
買い物にもでかけよう。
ベランダの掃除をしよう。

友よ、ありがとう。
こうやって、何気ない、たった一言が
人を救いもし、殺しもする。








posted by えるか at 21:42| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

どうするよ?

このseesaaのブログを紹介してくれたライターの友人が
自分のブログアドレスを私に教えてくれた時、
「親しい友人には紹介してないんよ。以前はHPを公開してたけど、
今は聞かれても、もう無いって言ってるんだ」
と言った時、私はちょっと傷ついた。

彼女にとっては、私は「親しい友人」じゃないんだな、
そしてそのことは当然、私も承知しているとわかって言ったんだな、
と思い、少なからず悲しかった。

彼女とは2年前、とある所で出会い、一年間ご一緒させてもらい
とても楽しく過ごした。
「楽しいことはいつまでも続かない」
の提言通り、もう彼女も私もその場所とは縁が切れたけど、
私は今も彼女がすごく好きだ。

彼女の教えてくれたブログがものすごく面白かったので
ついに自分もこうしてブログの真似事を画像もなく
やっているわけだけど、
自分のブログを友人に紹介することが
恥ずかしくてできない。

本当のことを書いていきたいから、
自分の心の中がまわりの友人に
知れ渡ってしまうのはイヤだ。

私はニコニコしながら(してないか?)
とんでもないことを考えていたりする。
もちろん、悪口なんか書かないけれど、
絶対に、読んだ人を気を悪くさせたり、
傷つけないという自信は全くない。

思ったことを書きたくて作ったブログなのに、
結局、当たりさわりの無い事だけ書くのでは
私にとっては意味がない。

困った。
書いたのはいいけど読んでくれる人がいないのでは
いくらなんでもつまらない。
ここに来て、前出の彼女の気持ちがすごくよくわかった。

紹介する人の条件は
「信用できる人に限る」ということだ。

紹介するたびに、その紹介した人のまわりのことが
書きにくくなる。
自分に近い人だとよけいそれは大きい。
一人紹介するたびに書けることが大幅に減っていく。
これは困る。

そこで紹介できる人は
「たぶん、少々のことがあっても自分の敵にまわらない人」
「ちょっとくらい変な事書いても許してくれる人」
に限られる。

ふだん、自分のまわりに居なくて、
しかも私のことを知っていて、信用できる人。
私がその人を好きで、相手も私に好意をもっていてくれる人。

そう思うと彼女が私にブログを紹介してくれたことは
とってもうれしいことだったのだ、とわかる。
もちろん、彼女はそこまで思ってないかもしれないけど
自分がそうなのだから、喜んでおこう。

ああ、誰かにブログを教えたい。
でも、思いつかない、、、、、。

誰か読んで!


posted by えるか at 00:59| 友達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする