2017年08月06日

日曜美術館 北大路魯山人×樹木希林

Eテレ『日曜美術館』(日曜9時〜)に
ゲストとして樹木希林さんが登場した。

北大路魯山人の人生を語るというもの。
魯山人と言えば食通で美意識が高く、
生涯料理にあう食器を作り続けた人、という印象。
私も皿を持っている(もちろん複製)。

北大路魯山人は京都の上鴨神社の社家の次男として生まれた。
父は他界しており里子に出されその先も転々とする。
学校にも通えず、家族の愛情を知らず、
印刷や看板業で生計をたてた。
30代で陶芸家をめざし42歳で赤坂に料亭をひらく。

樹木希林さんの言葉、
『生い立ちはすごく影響したでしょう。
 人を信用する、人に愛情を注ぐこととかね。
 結婚離婚を繰り返したのも相手にそれを期待し
 埋めようとしたのでは』

『作品は大胆でわざと抜かしたり後で付け加えたり、
 面白いですね。
 「創」って作るという意味と傷という意味がある。
 人間、破れが無いとつまらない』
 
『30代で老婆を演じたけど、まわりをみて、
 歳をとったからといって成熟するってことはない、
 人は絶対に変わらないってわかってた。
 いろんな人間がいっぱいいる。
 それを見るのが勉強です。

 私は結果的に非常識になっているだけで、
 自分では常識的であろうとしている』

樹木希林さんは司会者であるアナウンサーや井浦新の質問を、
時に、はぐらかすように答えていく。

井浦新に対しては時々(ん?)と思ったようで、
(私もそう思うけどね。言葉を選んでわかった風に自分をつくっているけど、
 この人、意外と中身はカラッポだといつも思う。
 カッコいいだけにもったいない。
 いっそ何もわからないんです、と言えばいいのに)

井浦新
 「料亭で名のある作家の器をそうとは知らず出された時、 
  あなたにわかるのか試されているようで、、、」
樹木希林
 「いや〜、、私には値打ちあるものでご飯を食べることは
 (価値を見いだすことは)
 腑に落ちるものではないです。
 30年以上たつとわかります」

魯山人は美に対して厳格で、自宅に住まわせていた
イサム・ノグチの洗濯物の干し方に激怒したり
料亭の客に門前払いをくらわしたり料理人が居つかなかったり、
最後、料亭を解雇されてしまう。
そのあとは、工房にひとりで籠り、
器を作り続けた。

『魯山人の美意識にまわりの人はついていけなかった。
 長く付き合える人は居なかったのではないか。
 嫌われているとわかっていたと思うんですよ』

「希林さんにも通じるものがありませんか」
とのアナウンサーの問いかけには、

『これでも気遣って喋ってるのよ。
 でも人が怒っている時の気持ちを見るのも好き。
 役者だからかな、嫌な奴なんです。
 
 何を言っても伝わらない人には、何を言っても伝わらない。
 ひと言言っても伝わる人には伝わるもんです。
 
 魯山人は人と関わりたいという想いはあったのでは。
 晩年どうすごしたのか、電話して聞いてみたい』

魯山人が亡くなる5年前に描いたという
「松林屏風」には二羽の小鳥が描かれている。
右上の小鳥を左下の小鳥が寂しげに見上げている。

これを京都現代美術館館長・梶川芳友さんは
「左下は魯山人自身で右上は魯山人を理解してくれる友だった」
と述べている。


「ただ1つだけみんなにわかって欲しいことは、わしの人生は、
 この世を少しでも美しいものにしたいと思いながら
 歩んだ人生だということだ」

魯山人のこの言葉に、
「最後にこの言葉を残さねばならなかったいう、
 理解してくれる人がいなかった魯山人をかわいそうだと思う」

といった井浦新に樹木希林はかみついた。
「井浦さん、あなたにはいますか?」

言葉に詰まる井浦新に
『そんなに期待しないでもらいたい!
 そんなにいるもんじゃない。
 ましてこれだけの人なのに、
 期待するほうがおかしい』

『私は持ってうまれた「ほころび」を、
 人間としてダメなところを、
 修繕しながら生きています。
 (人生とはそういうものです)
 糸で繕うように』


そして、
「樹木希林さんなら魯山人の理解者になれたのでは?」
と問うアナウンサーに、

『そんな、おこがましい、、。
 でも結婚していたら、離婚しないで別居して、
 生涯つかず離れずいたいですね。

 向こうはお払い箱でしょうが』
と煙にまいた。

来週13日夜8時〜再放送があります。






 

posted by えるか at 16:38| テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする