2016年03月29日

わたしを離さないで

最終回が終わってしまった。
視聴率は悪かったらしいけど優れたドラマだったと思う。
この作品をいまの日本のテレビ界に映し出した人
(誰か知らんが)はエライと思う。

ドラマ化されたおかげで
原作が文庫化されたので平行して読んだ。
『わたしを離さないで』原作 カズオ・イシグロ 訳 土屋政雄

カズオ・イシグロ(←以前の記事です)の本は全体が比喩になっていて
なんだかいつも読みにくい。
たいてい挫折して映像で見ることになるんだけど、
たいそう素晴らしい作家であると、
よい読者ではない私も思っている。

映像は原作とはいつも微妙に、
あるいは大幅にすり替わっているものだけど、
読みにくい本に関してはまったくもって有り難い媒体である。

今回も微妙に変わっていたり付け加えてあったけど、
ドラマは良かったし、おかげで原作の方も、
ある程度の様子が頭に中に入っているので挫折することなく読めた。

原作はカズオ・イシグロが、
『これは、○○○についての物語である』
と帯に書いてくれていい、と言ったにもかかわらず
誰もがネタばらしを避けているそうで、
あとがきの柴田元幸さんも訳者の土屋政雄さんも、
そう言及されている。

でも私のような比喩の苦手な読者にとっては
始めに教えてくれていた方がより面白く最初から読めたと思う。
わかっていて、なんら支障なかったものと思うんだけど。
テレビでもすぐわかったにも関わらず曖昧な伝え様だった。

ドラマに関して言えば始めに言ってくれてたら
2回目見たいと思わなくてすんだのに、とすら思う。

初回、冒頭に出てきた場面が物語の大切な場面であることは
気がつくものの、しっかり覚えてなくて、
最終回にもう一度、これは出てくるはずだ、
と待っていたら出なかった。

途中で変わったのか、
始めからその予定だったのかわからないけど、
同じくドラマを見ていた友人に「あれはどうだった?」
と聞いたらやはりよく覚えていなかった。

「注射してたよね?」「、、、、してたような気がする、、、」
「殺したんだよね?」「、、誰をだったか覚えてない、、、」
とお互いいいかげんな記憶なのである。

もちろん原作には出てこなかった。
とまあ私まで曖昧な書き方になってしまったけど
良いドラマと原作でしたです。

『あなた方は「天使」なのです』
これは原作には出てこないけど残る言葉。

『わたしを離さないで』
という言葉がどこに出てくるのか、原作とドラマでは違ったけど、
ドラマでの水川あさみが良かった。
最終回の「生まれてきてくれてありがとう」
は、いらんかったな。生まれてないし。


posted by えるか at 20:43| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月26日

見過ぎ?

道端に座り込み、膝に犬を抱えて、
何やらしている同年代の女性が目に入った。
何をしているんだろう、どんな犬だろうと、
通り過ぎても首はぐるりと後にまわる。

犬はブルドックで、
ご主人様の膝の上で肥ったお腹をうえに向け足を投げ出し、
どうやらお尻でも拭いてもらっているのか。

視線を感じた女性と目があった。
女性が、えへへへ、、と笑ったので、
私もえへへへ、、と返した。



スーパーのエスカレーターでスマホに夢中の前の彼女。
上手に降りたはいいけれど、なぜか足がすべってズルっと。
しかし転ぶことなく、なんとか持ちこたえた彼女は、
振り返り、私にふへへへ、、と笑いかけた。
もちろん、ふへへへ、、と返しました。
よかったね、転ばなくて。
posted by えるか at 19:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

持ってった?

電車で眠りこけている小学生の手の甲に
『あした 図書の本 ぜったいわすれない!』
とマジックで書いてあった。
posted by えるか at 21:47| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

時間持ち

ひとりになってからずっと、
これは夢なんじゃないか嘘なんじゃないか、とどこかで思っていた。
生きている実感がなくふわふわと浮遊しているようだった。
安心してその場に存在したことがない、布団の中でさえ。

蓋をして覆っていた土を掘り起こしてみた。
そこに深く傷ついている自分がいた。
人生で2回、辛いことがあった。
傷ついたままそのままきたことに気がついた。

その事実に気がついたら少し楽になった。
どうしてあんなに前向きでなくては
価値が無いと思い込んでいたんだろう。

そして、よくよく考えてみれば、
働きたいと思ったことは、ほんとは無い、ということに気がついた。
どうして働いてなければ稼いでなければ
価値がないと思いこんでしまっていたのだろう。
その理由も今はわかる。

私は家のことをコトコトするのが性にあっている。
そういう事が好きだし、それでなんの不都合もなかったのだ本来は。
いまだに生活を変えてないのが頷ける。
家族で住んでいた頃とする事があんまり変わっていない。
人は居ないけど。

意外に自分の思うような人生を生きているのかもしれない。
興味のあることには手を出すし、わりと色々やってきた。
そう思うと『時間持ち』であることに気がついた。
チマチマと好きなことをする時間があるのだ。

そしたら
「どうして仕事をしなければいけないんですか?」
そういってくれた人の言葉を
すんなりそのまま受け止めることが出来た。

ここに去年の秋の新聞記事の切り抜きがある。
求人広告のコラムで各界の人たちが、
働く人にエールをおくるシリーズだったけど
異彩を放った記事を書いた人がいる。
脳科学者で医学博士の中野信子さん。

わざわざこれを切り抜いて置いていたそのころの私を思うと
可哀相になってしまう。よほど慰められたのだ。

「『人生のコントローラーを握れ』
 ・イグ・ノーベル賞(役にたたないけど面白い研究)が研究の本義
 ・役に立っていない人が知的財産を支える

 現在の日本では働いて役に立っている人と働かずに役に立っていない人
 の2項対立を感じる。
 ゆとり・ひきこもり・ニートなど言葉が出来上がり排除されていく。
 でも、めまぐるしく動く社会から距離がる彼らの視点や思考は比較的自由です。

 彼らは自分たちなりに経済活動をしていたりするし、
 文化の豊かさや教養の深さ、未来に資するヒントを秘めていたりします。
 役に立っていないと言われて社会の働く場所から距離を置き
 多くの時間を注いで育ててきたものにレベルの高いものがある。
 彼らは貧乏でも自分でコントローラーを握っていたいのだと思います。」


私も日々の生活を坦々とこなしていこうと思う。
そう思うとまわりにある物、言う事聞かない猫、
ひいてはまわりの人々にも深い感情が湧いてくる。

本屋に行けば生き方の本が溢れているし、人に助言を貰う事も多い。
でもそれらを慰めとしか受け取れないうちはどうしようもない。
自分で気がつくことが肝心。
人に何といわれようと自分でわからなければ心には入ってこないものだ。

3部作、これにておしまいです。
posted by えるか at 21:56| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

外面

前回の承認欲求の話の続きです。

私は人に紹介されると占いも行ってみる。
そこで言われたことを総合すると結構同じことを言われている。
ホロスコープや四柱推命は生まれた日と時間の統計学なので
占いというよりは、そういう星の元ですよ、、という感じ。

私は人に合わせて顔を変えるそうだ。
他者に求められるものに合わせ過ぎるきらいがあり、
評価され公平で魅力的で人気者でありたい人。
人に感謝されることで自己表現する。

たしかに当たっていると思った。
人が喜んでくれるなら頑張りますとも。
生まれた時にそういうことまで決まっているのかとかなり驚いた。

しかし、今年新たに「見える」という人に
会うなり「あんた、外面がええな」
と言われて愕然。
「外では愛想よく家で家族に当たる、
あんたは子どもの頃からそうやったはずや」

そんな、、、、、、、
当たられてきたことはあっても当たるなんて、、、
外面だけがいい人が大嫌いなのに、それは私なの?!
こんな人にだけはなりたくないと思っていた母に対して思っていた事を、
「それはあんただ」と言われたのだ。

あまりのショックになんだか、、、
全てがもうあほらしくなってしまって、、、、。
いったい私ってなんなんだろう、、と思った。
小さい頃からの思いがすべてひっくり返ってしまったのだ。
もうどうでもよくなり、かえって元気になってしまった。
なぜか最近よく眠れる。

友人は全然当たってないって言ってくれたけど、
紹介してくれた人は
「あの人はものすごく見える人なので
思い当たることがあるのでは」と譲らない。
「人に喜ばれたい」というところと繋がっていくと言うのだ。

占いでなく「見える人」というところで、
本当はそうなのかもしれない、と自分でも思うように。

見える人によると、私を構成しているのは
「外面」その後ろに「気分」がありその後ろには「深読み」
なんだそうだ。
確かに私は気分で動くし、ものすごく深読みする癖がある。
(結構当たってるんだけどね。でもそのせいで余計な思いをすることが多い)
外面以外は怖いくらいに当たっている。

ただその後に言ってくれたことはホロスコープや四柱推命と
不思議なことによく似ていた。
「人の言うことなど気にせず
自分のしたいことをすればよい」
「人が何を考えているかはわからない」

これは森の生活者ソローのいう
「『みんな』はどこにも存在しないし、
 『みんな』は決して何もしてくれない」
とつながっていく。

そんなわけで生まれながらに
人一倍「承認欲求」の強い自分を知ったので
今回のEテレがとっても腑に落ちたのだった。

以下、次回に続く。
もうすこしお付き合い願います。




posted by えるか at 20:31| 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新世代が解く! ニッポンのジレンマ 競争と共生のジレンマ 反響編

正月にEテレで深夜にやっていた
『元旦SP 競争と共生のジレンマ』
若い識者がこれからの日本について討論をしていた。

その続編
『新世代が解く! ニッポンのジレンマ 反響編』(2月27日深夜)
あまりにも最近の自分とシンクロして録画を消すことが出来ない。

『元旦で火花を散らした堀江貴文(1972生まれ)と
 僧侶で瞑想指導家の小池龍之介(1978生まれ)の直接対決』
と銘打ったこの番組は『承認欲求』について論じられた。


司会    社会学者 古市憲寿(1985生まれ) 青井実アナウンサー(1981生)
仲介人   日本思想史家 先崎彰容(1975生まれ)

最近思っていた事と同じだったのでたいそう驚いた。
こんな当たり前のことに私はずっと傷つき苦しんできたし、
あるいは、
世界規模で同じような人は多くいるのだという事とと
そして気がつく事も無く生きている人も多く居るのだろうとも思った。

人は(〜でなければならない)、と思いこみ
そうでない自分に苦しみ続ける。
自分で自分を承認出来ないから
人に承認されることで安心しようとする。

今の世界は承認欲求の時代。
ネットワークで村社会に戻っている。
自分が自分を承認できないから人の承認を求める。
でもそんなものは無いのだ。幻なのだ、という話。

人に褒められているのは自分の極一部で瞬間でしかない。
今しかないものを評価されてもしようがない。
承認されたり褒められたりすることを喜ばないこと、
自分に本質などない、流動しているもので
本当は自分などいない。ほめられて嬉しいのは気のせい。
だから本質的に評価されることなどない。

友だちやお金が増えても本質的には何も変わらない。
承認されるとドーパミン(脳内麻薬)が出る、
これこそ諸行無常。
脳内麻薬は依存性がある。得られる快楽はすぐ消える。
無くなると哀しい苦しい。
承認を幸福と定義するなら麻薬と同じ。

物質に満たされた現代は承認されることを求める。
資本主義の社会構造でそう思わされている。
明治5年の教育制度から汗水たらして働くことはすばらしいという教育されてきた。
昔はそうでないと死んでいたからだ。

はたまた現代はクリアイティブでなくては楽しんでなくでは
承認されないという強迫観念がある。

「まわりを気にしない」という訓練がいる。
何も本質ではないという本質。
喜びも哀しみも物質的なものもすべては瞬いて消えていく。
その後ろには何も生じないもの、批判も称賛もない空白地帯がある。
本源は本当は傷つかない。
自分がそこに生きている満足感を持つ。
他者の承認にふりまわされないこと。

以下、次回、自分の事を書きたいと思います。

posted by えるか at 00:34| テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

夢のなかへ

先日神戸トアロードをぶらぶらしてたら
ちいさな店のガラス越しに
からくり人形らしきものが見えた。

アンティークのオルゴールに見えたけど、
ちょっと妖しげでユーモラスな題材に目が釘づけに。
動きが単純でなくゆっくりと次々と変わっていく。

思いきって中に入り見せて貰った。
ガーゴイルの大好きな私には夢のような空間。
じ〜っと見ていると作業中だった作家さんは
他の作品も動かして見せてくれた。

『職人』という世界なんだろうけど
どうやって習ったんだろう、、
師匠っているんだろうか、、
どんな勉強をしてきたんだろう、、、

思いきって聞いてみたら、なんと独学だそうだ。
しかも文系で人間なんちゃら(忘れた)学部だったそうです。
ヨーロッパのオートマタ(自動人形)というものらしい。

もうひとつ気になること、
たぶん買えないとは分かっていたけど
いくらくらいするものなのか聞いてみたら、
小さいもので(10×10くらい)30万、
大きくなると300万でした。

まあそれくらいはするだろうと納得。
検索したらテレビで紹介もされている人のようです。

昔は夜しか開けてなかったとか。
ほろ酔いでこのお店に入ったら、
後であれは夢だったんじゃないか、、と思うかも。
そんな不思議な幻想的な世界のお店でした。

また見に行ってみたいな。
ひとつ欲しいけど、、、。


『いとう工房』
神戸市中央区下山手通り3丁目11−18 (トアロード沿い)




posted by えるか at 21:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

はみ出過ぎ

カウンターで口紅をぬってくれるというので
「大き目にお願いします」
と言ったら
オバケのQ太郎になっていた。


posted by えるか at 09:30| 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

ささやかな

この冬はまっていたのは
イッタラのキャンドルホルダー、キビ(KIVI)。
肉厚のガラスで出来ていていろんな色の製品がある。

その中にティーライトキャンドルという
小さなカップに入ったロウソクを入れる。
火をつけると5時間くらい小さな灯りがともる。

北欧の人たちにとっては
キャンドルを灯すことは日常なのだそうだ。
寒いにはところには灯りを、
冷えきった私の心にも灯りを。

うちはオール電化なのでガスが来ておらず、
火を見られないことが始めの頃辛くて
(今でも辛い、不自然だと思う)煮炊きが空しかった。
石油ストーブを買ったりしたけどマンションには暑すぎた。

ところでティーライトキャンドルというロウソク。
透明カップに入っていて火をつけてしばらくすると、
熱でカップの中のロウが全部溶ける。

すると全てが透明となり、ガラス越しに本当にきれいだ。
部屋の電灯を消すと、炎が浮かび上がり幻想的。
幻想的すぎてそのまま心がどこかへいってしまいそう。

透明カップは使い捨てで1個65円。対して、
アルミカップの容器のものだと15円くらい。
美しさが全然違うのでぜひとも透明カップの方を使いたい。

私があみ出したアイデアは透明カップの再利用。
使い終わった透明カップに熱湯を入れ、
底に燃え残ったロウを溶かし捨てる。
これを数回繰り返し、カップをきれいに拭き取る。

そこに安価なアルミカップから取りだした
(簡単にスポンと取れる)ロウを入れると
透明カップの出来あがり。

問題は、
融かしたロウはあっという間に固まり、
流し台のあちらこちらにこびりつき、
それを熱湯で洗い流したりしたら排水口を詰まらせてしまうこと。
ケチケチ作戦は万事休す。

しかしそんなことに負けてはいられない。
35年来の愛用ボールをロウソク融かし用に下ろした。
ボールに溜まった水を漉すためには
排水管用のごみ取りネットを使用。

そういうことをチマチマとやっております。
ささやかな贅沢
ささやかな節約。
posted by えるか at 11:50| 買い物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする