2015年11月29日

供述によると ペレイラは・・・・・・

『供述によると ペレイラは・・・・・・』
  アントニオ・タブッキ 著   須賀敦子 訳

供述とあるのだからペレイラという人は
何か悪いことをして捕まったんだろう、、、
ペレイラって誰?何をしたのか。

 「供述によると、
  ペレイラがはじめて彼に会ったのは、
  ある夏の日だったという。」

という書き出しではじまるこの小説は、
「〜とペレイラは供述している」
という一文があちこちに出てくる。
しかし実際、彼が何をしたのかは
最後にならないとわからない。
それまでこちらは推理小説じゃないのに
ドキドキしながら読み進めることになる。

人に紹介されて読んだのだが面白かった。
あまりにも良かったので他の著作も読んでみたいが、
この感激を失うなら読みたくないと思うほど面白かった。

ペレイラは、妻に先立たれ肥満体で心臓が悪い。
大新聞の社会部記者をしていたが、
今はぱっとしない新聞の文芸部の編集長。
といっても彼ひとりだけで記事を書いており、
ある日契約社員として青年を雇う。

使い物にならない記事を書くこの青年を
ペレイラはなぜか放りだすことが出来ず、、、

著者アントニオ・タブッキはイタリアの著名な作家。
この作品でヴィアレッジョ賞受賞。
1994年発表。
舞台となった1938年はヒトラーがオーストリアを併合し、
前年にはスペイン民衆を力で制しようとしたフランコ派軍隊が起こした
市民戦争が始まった。同年フランコ軍を支持したドイツ軍の爆撃で
ゲルニカ村が壊滅した。
この作品はポルトガルの独裁政権時代を背景に書かれている。

そういう重いテーマをふまえつつ
ペレイラの日常と独白で物語は進むが、
政治的なことには興味も無く亡き妻の写真に話しかけながら、
なんとなく暮らしている彼なのに無意識の中に
彼が持っている何ものかに対するこの共感とドキドキ感はどうだろう。

私の感想はこの程度なので
訳者の須賀敦子さんがあとがきできちんと説明されているので
詳しくはそちらを。お勧めです!

posted by えるか at 21:32| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

テレビの威力

京都の『養源院』というお寺では
「俵屋宗達が描いた杉戸絵が常時見られて
 とても空いていて穴場。
 いつ行っても誰もいなくて絵の前でボ〜っと出来る」
と地元の人に教えて貰い、かねて行きたいと思っていた。

ところが、
昨日で終わったけど京都国立博物館で開催された
『琳派 特別展覧会』

国宝『風神雷神図屏風』を描いた俵屋宗達と
それを模写した重要文化財の尾形光琳、
姫路の殿様一族であった酒井抱一の
3枚の『風神雷神』が一堂に会すということで
京都の国立博物館はいつもながらの大人気。

テレビでも盛んに琳派展に関することをやっていたが
まずいことに今回、
『穴場!俵屋宗達の杉戸絵が見られる養源院!』
とあちこちの局で何度も養源院のことをやっていたので
嫌な予感はしていたが、、、、、

いやそんなはずはない、空いているはず、、、、
噂によると杉戸絵もそのまま置いてあるらしいし、、、
いいように勝手に解釈して無謀にも出かけた。

当日はどしゃ降りの雨だった。
養源院は混んでいた。、、、甘かった、、
受け付けではグループで案内するとのことで待たされ、
「お座りください!」と言われた私の前に現れたのは

「本物は京都博物館に展示しています。これは複製です」
という立て札だった。
なんの為に雨の中ノコノコと来たのであろうか。

廊下の障子が閉じられ照明もなく暗くてほとんど見えなかった。
「麒麟の絵です。左が麒、右が麟です」
(麒麟は正面の『唐獅子図』の裏に描かれたもの)
(最近は麒麟ではなく水犀であるとの説が有力らしい)
と言われてもどこに何がいるんだかよく見えない。
複製なんだから雨の日は照明くらいつけてもらいたい。

血天井なども竿で指して説明してくれたけど
よくわからんかったわ。

「杉戸を開けると向こうに白いゾウの絵が迎えてくれる」
とテレビが言っていたのは特別だったようで開けてくれることもなかった。
(普段から保存のため開けないらしい)
(白いゾウの杉戸絵は本物でした)

結局、博物館で本物は見たけれど、
大雨というのにまあ人出のすごいこと。
そして3枚のうち光琳の風神雷神は、
東京に帰ってしまったのかもう無かった。

高台寺で百鬼夜行のプロジェクションマッピングも
見ようと思って日の入り時間に合うよう出てたけど疲れ果て、
諦めて帰ってきたのだった。

ま、それなりに楽しかったけどね!
『風神雷神』は子どもの頃から好きだった。
(3人が描いているって実は知らんかった)

ちなみに養源院は淀君が亡父、浅井長政のために創建した寺。
お江が宗達に杉戸絵を描かせたらしいです。


教訓
雨の日に京都の展覧会に行くな。
テレビで紹介されたものはもはや穴場ではない。
展示はきちんと確かめよう。




追記
「杉戸絵」を「襖絵」と間違えて書いていたので
 訂正しました。すみません、、、、、
 

posted by えるか at 18:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月21日

カーちゃん その後

先日の3倍鴨カーちゃんですが(こちらです『カーちゃん』)
今日行ってみたらいなくて、
かわりになんだか弱った様子のオオバンという鳥が一羽、
他の鴨にまじらず池のはたのコンクリートにじっとしていました。

ここの鴨たちは野生だけど人を見ると餌をくれるかと
取り敢えず寄ってくるのがいじらしい。
オオバンも寄ってきたけど泳ぎ方がすこし傾いでいて病気なんだろうか。
仲間もいなくて一羽のみ。
ごめんねエサ持ってないのよ。

そこへパンを持った中年の夫婦がやってきた。
するとどこにいたのか「くわっくわっ」とカーちゃんがやってきた。
その夫婦も他の鴨を離すようにしてパンをやっていた。
やっぱり「カーちゃん」と呼んでいる。
今日こそと話しかけてみた。

カーちゃんは目が見えないんだそうだ。
去年からいて仲間が北へ帰っても一羽だけ残り、
木の影の一切ないカンカン照りの夏を土管の中へ
避難しながら過ごしたそうだ。

「3日くらい姿が見えないと死んだかと心配でねえ。
 土管から出てきた時はホッとしたわ 」

そうだったのか。
近所の人たちでカーちゃんを守っていたんですね。
オオバンを指差し「あの鳥はどうかしたんでしょうか」
と聞いてみたら
「釣り糸の針が口に刺さっていた鴨がいたけど、
 誰か外してやったのかしら、その鴨かもしれないわ」
と教えてくれた。
「伊丹の矢ガモといいひどい事するわよね〜」

カーちゃんはどうして目が見えなくなったんだろ。
飛んできたんだからその時は目が見えていただろうに。

この池の住人。
マガモ(カーちゃん)、カイツブリ(小さくて潜る)
ハシビロガモ(クチバシが平べったい)
キンクロハジロ(黒くて頭に羽飾り、潜る)ホシハジロ(目が赤く顔は輝くレンガ色、潜る)
ヒドリガモ(顔の真ん中にクリーム色のライン)
オオバン(クイナの仲間、黒い体におでことクチバシが白)←一羽のみ
大きなナマズや亀もいるようです。

車を出そうと駐車場へ行ったら
マズイ!
前を歩いている2人連れが私の隣の車の持ち主のよう。
「こんなキツキツ久しぶりやわ!」

実は、
停めた時、横に寄りすぎていたのだ。
停め直そうかと思ったけどすぐ帰るし、と
そのままに。

「すみません、、、、」
そう後ろから声を掛けられて隣のクルマの人も
ギョッとしたのだろう。
振り返らずに
「ここの駐車場は狭いんやね、、」
とひと言フォローして助手席に乗り込んでいた。

申し訳ありません!



posted by えるか at 20:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

見える?

遠くにいる白鷺の写真を撮っている人に
「ほら、あそこに2羽もいますよ」
と指さしたら、白い杭でした。
posted by えるか at 22:16| 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

鴨居玲 展

『没後30年 鴨居玲 展』 −踊り候え−
(伊丹市立美術館 12月23日まで)

以前、東京在住の方のブログに「鴨居玲展に行った」
とあり、その感想がすこし微妙だった。
会場では若い人が多く皆一様に見入っていたそうだ。
添えられた鴨居玲の画が暗くて好みだった。
そういえば横尾忠則さんのツイッターでもコメントは
少し辛口だったような気がする。

鴨居玲の絵の師匠、宮本三郎の言葉。
「なぜ描くのか、何を描くのか
 常におのれに問いかけよ」

初期の彼の自画像の横には
「熊谷守一の『ろうそくを持った自画像』に触発された」
とあった。(『蝋燭』)
思わぬところで好きな熊谷守一が出てきて驚く。
(以前の記事はこちらです『熊谷守一』)

絵はひたすら暗い。
描かれる人物はピエロも酔っぱらいも、とにかく自分。
落ち窪んだ眼窩、腹の底からうめき声がもれそうだ。

200号の大作、
『1982年 私』
(もう何も描けない、、、)
と白いキャンパスの前でうつろにこちらを向いている鴨居の画は
こちらも呻いてしまいそうなほど暗欝で、
魂を持っていかれそう。
はじめ画廊では買い手がつかず、後に石川県立美術館に買い取られ、
今では回顧展の顔となっている。

会場にはアトリエが再現され描きかけとなった遺作も展示されている。
絵を描く時には必ず履いていたという別注したブーツもあった。

3人兄弟の末っ子で母親に溺愛されて育つ。
姉は下着デザイナーの鴨居羊子。
背が高く日本人離れした彫りの深い顔でモテた。
とにかく格好よかったがそれを嫌みに見せないよう3枚目を演じてみせた。
結婚には尻込みし子ども好きだが自分の子は持たなかった。

「格好いい」と「暗鬱」の両極端を生きた人。
セントバーナードの愛犬チータを息子のように可愛がり
パリからファーストクラス並の料金で連れ帰る。
チータが亡くなると3日後に2代目チータのシェパードを飼った。
金銭感覚はゼロ。画廊に借金を申し込み、狂言自殺を繰り返した。
最後、ついにほんとうとなり57歳で亡くなる。

以上が特に印象に残っている私の鴨居像。
詳しくは
『鴨居玲 死を見つめる男』 長谷川 智恵子 著
にもあります。

鴨居玲は昭和3年金沢市に生まれる。
長身でハンサムでお洒落、ベルサーチがよく似合うその姿は
パリの社交界でも目を惹くほどだったという。
「デッサンダコの無い人間は画家とは認めない」
とデッサンの勉強は数々の受賞後も変わらなかった。
パリ、スペイン、神戸にアトリエを構えた。
同人と群れず弟子はとらなかった。手紙、引っ越し好き。
暗さにとことん付き合い、追及した天才。



遺言書 1985年8月10日   
   (『鴨居玲 死を見つめる男』より)

一、私の葬式は、無宗教で行うこと
  (種類は問いません故、音楽を流すこと)
  お経をあげてくれる人があれば
  それはその人の気持ちの通りにすること
一、香典は いただかぬこと
一、焼香のかわりに 花を使用すること
一、酒、を飲み にぎやかに雑談していただくこと
一、戒名不要、鴨居玲で通すこと。
  位牌は中川和尚の表札で結構。
一、墓 不要。骨は粉にして海に捨てる事

     
posted by えるか at 22:00| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月07日

カーちゃん

渡り鳥がやってくる季節になった。
遠くまで出かけなくても街中の池や川にも飛んでくる。
普段からスズメやカラスやヒヨドリを探して
上を向いて道を歩いている身には嬉しい季節。

ニュースでは伊丹の昆陽池の鴨が
吹き矢で何羽も傷つけられ、警戒にもかかわらず
今日はカラスの首が切り落とされていたそうだ。悲しい話。

普段、車で通りかかる宝塚の小さな池にも、
先日から何羽か鴨がきて、
夏の間に池にはびこった水草が
あっという間にきれいになくなっていた。

今日通りかかったら一気に鴨の数が増えていて
帰りに車を降りてみた。
地味な色の鴨ばかり何種類かいた。名前はあんまり詳しくない。
黒で格好いいキンクロハジロは居なかったな。

それにしても池が汚い。
ペットボトル、ポリ袋、ティッシュ、空き缶など、、、、
小学低学年と思える男の子が3人いてパンを持っていたので
餌をやるのかと見ていたら、
池に唾を吐いたりジュースの残りを垂らしたり
あげく黒いレジ袋を落として鴨たちは驚いて一斉に逃げていた。
彼らに注意するほど私はいい人ではないので心の中で毒づきながら
道を隔てたもう一つの池にまわった。

そこは小さな公園になっていて
小さな子どもを連れた家族連れがちらほらいたけど
やはり池は濁りよりいっそうゴミで汚かった。
わりと環境のいい地区なのにどうしたことだろう。

鴨のなかにひときわ大きな鴨がいて、
体長は2倍とは言わないが、
体重では間違いなく他の鴨の3倍くらいありそうなマガモがいた。

その鴨はクワァックワッと声を張り上げ、
まるで鴨の親分のようであった。
人を見ると寄ってきて催促しているかのよう。

そこへパンの袋を持ったオバサンがやってきて
鴨たちは慣れたものでその人のところに一斉に寄っていった。
遠くにいた鴨は急いで羽ばたきながら水面を蹴って集まっていた。

そのオバサンは「ハーちゃん!ハーちゃん!」
と呼びかけながら例の大きなマガモにパンをやっていた。
距離があったので始めハーちゃんと聞えていたのだが
あまりに連呼するのでそのうち「カーちゃん」とわかった。

見ていると驚いたことにオバサンは
徹底的にその鴨にだけ投げているのである。

3倍カモはまわりの小さな(普通の)鴨がパンを取ろうものなら
突いたり追いかけて足を咬んだりしていた。
たくさんパンがあるのに他の鴨には一切投げないどころか
「あ!とられた!カーちゃん、ちゃんと食べな!」
「また盗られた!」
と他の鴨が食べるとオバサンは怒っていた。

「まー!突かれてっ!!」
って、ツツいてるのはカーちゃんだけど、、、。

あっけにとられて見ていると、
向こうからもうひとりパンの袋を持った女性がやってきた。
どうやらオバサンの娘のようだ。

「こっちにおびきよせるから」
とその女性はカーちゃんだけが食べられるように
離れたところで他の鴨にパンを投げていた。

それでも3倍鴨カーちゃんの周りにはまだたくさんの
小さい普通の鴨がいてパンを自分ももらおうと頑張っていた。
オバサンはカーちゃん以外がパンを取ると猛烈に怒っていた。

カーちゃんはこのオバサンにとって何者なんだろう。
雛の頃自分で育てたとか、昔怪我から救ってやったとか、
ひょっとして池で飼ってるの?

「ペットなんですか?」
「どうしてこの鴨にだけやるんですか?」
たいていの人には臆することなく話しかける私だが
モンスターペアレントっぽいその人には
話しかけることはできなかった。

「(食パン)2枚食べたからこれ以上やったら
 お腹こわすわ」
とオバサン親子は帰っていった。

変な人!

それを横でじっと見ていた私も
変なんだけどさ。


posted by えるか at 20:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

ぼくのともだち

47歳で亡くなった時、追悼文で批評家ピエール・ポストに
「世界で最も美しい題名である」と讃えられた。

『ぼくのともだち』 エマニュエル・ボーヴ著 渋谷豊 訳

しかしながら主人公バトンにともだちはいない。
孤独なバトンのともだち探しは毎回必ず失敗に終わる。
度重なる失敗にもめげずともだちを探し続けるバトン。

妄想にふけり相手の気持ちを理解せず、
ちらりと見られただけでその人が自分を気に入っていると
思いこむ彼がなんだかいじらしい。

主人公バトンは戦争で負傷し傷痍軍人年金を受け
アパートの屋根裏部屋で暮らしている。

「寝覚めるといつもぼくの口は開いている。
なんだか歯がねっとりしている。
 夜、寝る前に歯を磨けばよいのだろう。
でもそんな元気のあったためしがない。
 目尻には涙の乾いた跡がある。」

に始まるお話は、
作者ボーブが26才の時1924年に書かれた。
1898年にパリで生まれたユダヤ系フランス人。
赤貧洗うが如しの貧しい移民の家庭だった。
両親はフランス語が苦手でボーヴは小学校にもまともに通っていない。

しかし父親が裕福なイギリス人女性を愛人にしたおかげで
ジュネーブで幸福な少年時代を過ごす。
画家志望で文学好きのその女性に可愛がられたが、
父親が死亡し女性の実家は破産。18歳からは、
パリでひとり食うや食わずの生活をおくった。

この作品と『同盟』でフィギエール賞を受賞。
ただしこの賞は1回限りで消滅してしまい
ボーヴは
「自分のように運の悪い人間に受賞したのが祟ったのだ」
と言ったそうだ。

この本は渋谷豊さんの訳もきっとすばらしいのだろう。
どの一文を読んでも面白い。
情けない話なのにユーモラス。

ひとりよがりの空回りって自分にも思い当たるところがあり、
なんとも身につまされたりして少なからず共感。
ちょっと自分をも笑いながら読んだ。

それにバトンは色んなことをよく観察している。
誰もが見ているのに見逃している気がつかないでいることを
ぶちぶちとひとりごちている。

文学賞を受賞しながらも心不全で亡くなった後
彼の小説は忘れられた。
熱心なファンのおかげで没後30年もたってから復刊。
今では世界10ヶ国語に翻訳されているそうだ。

お勧めです。
白水Uブックスから新書版も出ています。
posted by えるか at 20:58| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする