2015年10月27日

あれこれ

前回のトラの話『おちゃのじかんにきたとら』。
作者ジュディス・カーの他の作品を調べたら
『モグ』という名の猫の絵本シリーズがあった。

図書館で『わすれんぼうのねこモグ』を読んで、
(やっぱり!)と思った。ビンゴ過ぎて驚いた。

少女の夢の中に出てきたのが、
まさに『おちゃのじかんにきたとら』の
トラそのままだったのだ。

  デビーは夢をみていました。
  怖い夢です。
  トラがでてくる夢です。

  デビーを食べるつもりなのでしょう。
  デビーはおもわず叫びました。

  「きゃああ」

デビーの泣き叫ぶ姿は絵本とは思えないほど
髪は逆立ち恐ろしい。

この『わすれんぼうのねこモグ』じたいは、
ほのぼのとした絵本で、
猫のモグは可愛らしい。

モグは『おちゃのじかんにきたとら』で、
夕闇に出てきた場違いに可愛らしい猫に似ている。
実際はトラもほんとうは小さい猫なのだ、
どちらにも変わりうるのだという比喩かとも思っていたけど、
どうなんだろ。

この人には自伝的読み物
『ヒトラーにぬすまれた ももいろうさぎ』
があり昭和55年出版のものが図書館にあったので読む予定。
こういう本が在所してるところが図書館のいいところ。


又吉くんと同時に芥川賞を受賞した羽田圭介さん。
高校2年の時に最年少で文藝賞を受賞した『黒冷水』
兄弟間の憎悪を書いたものだけどこれを17歳で書くってすごい。
書き直す時間も無く夜間郵便局から投稿したとき受賞を確信していたというけど、
たしかにすごい才能。

その後の『走ル』はうってかわって、
高校生が自転車でひたすら走り続けるさわやか青春話。
ずっと走っているだけなのに最後まで飽きることなく読めた。

羽田さんの全部を読んだわけではないけどこの2冊はよかった。
『スクラップ・アンド・ビルド』はいまいちだったな。

村上龍さんに「共感を覚えなかったが作者の技量は高い」
島田雅彦さんには「羽田はあらゆるテーマに対応可能な何でも屋フィガロになった」
と言わしめている。

さて、又吉直樹さんへのこのふたりの選評はきつかった。
村上龍「長すぎる。私は途中から飽きた。
    作者の伝えたかったことが途中でわかってしまう。
    新人作家だけが持つ
    『手がつけられない怖さ』『不思議な魅力を持つ過剰や欠落』
    がない。しかし致命的な欠点とは言えない」

島田雅彦「漫才20本分くらいのネタでディティールを埋め尽くしていけば
    小説が一本仕上がることを証明したことになるが
    今回の楽屋落ちは一回しか使えない」

もうおひとかた
奥泉光 「『僕』が奥行きを欠くせいで『小説』であろうとするあまり
    心情の核への掘り下げがなく、
    何か肝心なところが描かれていない印象をもった」 

私もここまで言語化は出来なかったけど実はちょっとそう思った。
(こちらです『祝!芥川賞受賞』)
こちらのもやもやした気持ちをはっきりと言語化するところを
さすがプロの作家はすごいと思ったけど、
他の選考作家の選評も読んで、

(ここまで切り刻まれるって辛い、
書きたいことを書くだけじゃだめなのか、
そこまで計算して「作り」込まないといけないのか)と
怖くなったのだった。

又吉がんばれ。
posted by えるか at 22:01| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月23日

おちゃのじかんにきたとら

先日の新聞で紹介された絵本。
『おちゃの じかんに きた とら』 ジュディス・カー 文と絵

ある日ドアをノックしてやってきたのは
大きくて毛むくじゃらの縞模様のトラでした。
母と娘ソフィーはトラを迎え入れます。

トラはパンもお菓子もお茶もミルクも
全部飲んでしまいました。
そして他になにかないかと台所を見まわして
冷蔵庫の中身も缶詰も水道の水まで、
みんな飲みほして帰っていきました。

お父さんの夕ごはんの支度も出来なくなり、
ソフィーはお風呂にも入れなくなりました。

帰ってきたお父さんは話を聞いて言いました。
「まかせなさい。
 いいかんがえがあるよ。
 コートをきてレストランへいこう」

新聞の紹介文には
『この本はすてきな色彩があふれ、
 なんといってもトラのやさしいまなざしと、
 しぐさの愛らしさは格別です。
 お父さんの対応がすてきです』
とあった。

さっそく図書館に行って借りてきた。
なるほど素敵な本だ。

でも、なんかひっかかる。
お母さんもお父さんも娘もトラも
皆とても穏やかな顔をしている。
いや穏やかすぎる。
もっと何かないかと見まわすトラの目は、
人間の目のように怖い。

一家がレストランにいく途中の街中が不気味。
うつむいて歩いている人、他の人は表情がない。
そこになぜか描かれた小さなトラ猫。

3人はレストランで食事をします。
「しあわせなひとときを過ごしました」
と書いてあるけど、
お父さんの顔は幸せそうじゃない。

作者ジュディス・カーの略歴を読んでふと思った。

 著名なドイツ人作家の娘としてベルリンに生まれる。
 ナチスの手を逃れてドイツを離れる。
 スイスとフランスで過ごしたあとイギリスへ移った。



(トラはナチスなのではないか)

そう感じたのは私だけだろうか。
ひょっとしたら周知の事実なのかもしれないが、
絵本には
「長年読み継がれたまばゆいばかりの最高の本」
「子どものために何度もくりかえし読んであげるのにぴったり」
と書かれている。

ある意味おそろしい本だ。
最後のページは作者の願いだろう。
よく考えてみたいと思い買い求めた。
posted by えるか at 00:22| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

素直?

「家も家具も息子もすべて断捨離しました。
 あるのはお皿一枚と電球一つだけです」

と会ったなり教えてくれた人は、
しょっちゅう海外旅行しているそうだ。
南極にも行ったとか。

「机も無いんですか?」

テレビや机はあるそうだ。
なんでもすぐ言葉通り真に受ける私。
posted by えるか at 00:16| 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

そっと、、

ごくたまに胸をよぎり、
不思議に思うことがある。

20歳で逝った猫さんの法要を終えて、
帰ってきた時のこと。
(その時の話はこちらです『赤い車』)

当時、ハナ猫はもう家に来ていて、
まだ一歳にもならず一匹飼いで、
それはお姫様のように可愛がられていた。

今では考えられないが帰ってきて玄関を開けると、
目の前にハナが待っていて喜び100%で歓迎してくれたものだ。

ところがその日に限って、
私を見るなり怯えた顔になり飛びのいて逃げてしまった。
瞬間ハナは私の背後をみていた。

「どうしたのハナちゃん、、」
と声はかけたものの私はすぐにわかった。

(猫さん、ついてきたんだね、、、)

ハナはしばらく怯えていたがすぐもとに戻り、
いつも通り甘えていた。

猫さんは新しい猫が来たことを知り、
お山へ帰ったんだろう。

猫さん、私の愛する猫。
あちらで元気でいるだろうか。


posted by えるか at 23:47| 猫さん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月06日

お客さん

買ってきたばかりのコスモスに
蝶がきていました。
(オレンジ色。何蝶だろ)
ベランダ壁の内側にあったのによく見つけたこと。
明日も来るかな。
posted by えるか at 21:00| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

おそろし

嘘をつかれることが嫌いだ。
嘘も方便というけれど、
それは人を傷つけない嘘であるべきであり、
自分の保身のための嘘をつくのが当たり前になっている人に対して
温かい気持ちにはなれない。

「心を閉じていた」なんて前回書いたけど、
考えてみたら反対であの頃の方が、
よほどオープンマインドだったかもしれない。
近年の方が仮面をかぶって普通の人を演じてた。

と思っていたのは自分だけで、
ずっと無理して落ちこぼれだったかもね。

ふとした時にこぼれる本音はその人が出る。
横向いた時の恐ろしい目つきや歪んだ口元は
一瞬で元の笑顔に戻るからよけいに恐ろしい。

たぶん私も最近そういう人になっていると思う。
心の中で(なんやねん、それ、、)っていつも毒づいている。
自分で気がつくくらいだから人にも気付かれているだろう。
恐ろしいことだ。




posted by えるか at 21:56| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

かわいそう?

十数年も前、
誰とも話したくなく会いたくない時期があった。
その間に3回引っ越しているからそれなりの期間だ。

閉じこもっていたわけではなくて、
僅かな友人とは連絡をとっていたしメール交換したり、
私のことを全然知らない人たちに混じって講座を受けに行ったりはしていた。
それなりに明るくふるまったりして。
ただ心は堅く閉じていた。そうでなければ生きていけなかった。

それからジタバタと右往左往したけれど、
最近また閉じた世界に行きたい。

結局現実は何も変わってない。
以前は何か見えてくるのかもしれないと漠然と少しは
希望をもっていたのかもしれない。

でも気がついたら歳を取っていた事と金が減っていた。
この先もっと歳を取るし金も無くなっていく。
すばらしく楽しい毎日が待っているとはもう考え難い。

この夏、古くからの友人に相次いで慰められた。
「ひとりで本当によく頑張っているなって
 いつも思ってるんよ。
 我慢強いなあって思って」

「ひとりでよくやってるよ。
 私には出来ない。
 たったひとりで立ち向かわないといけないことが
 ほんと可哀そうだと思う」

友人たちはそういってそれぞれ遠くへ帰った。
これらの言葉が後になってえらく堪えた。打ちのめされた。
友人はもちろん褒めてくれたり慰めてくれたりしたのだ。

我慢強い?
言っていくところが無いだけだ。
どうしようもないからじっとしているだけだ。
誰よりも泣きたいし悲鳴をあげたい。

可哀そう、、
ひとりで可哀相だと思われていたことに、
そんな当たり前のことを気付かずに普段いたことに
いたたまれなくなって愕然とした。
ふらふらいいご身分だと揶揄されているのではと危惧していた自分は
全くもってお目出度い。

いったいいつから可哀相だったんだろう。
生まれた時から可哀相だったのかもしれない。
可哀相でなかった時なんてあるのだろうか。

そんな事をぶちぶちとつぶやける歳はとっくに過ぎたというのに
情けないことだ。
若ければよよと泣けばまだ絵になったのに
こんなにしょぼくれてしまいどこで泣けばいいのだろう。
この先しょぼくれていくばかりだというのに。
いったい何をしてきたんだろう、、、、、
と思う毎日。

「前世に何か悪いことしたんじゃないの?
 何代も昔とか、、、、」

何代も前の事をなんで私が、、と思うけど、
私の人生、全部が自分のせいだと思うより
そちらの方がまだ救われるような気がする。
posted by えるか at 18:57| 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする