2019年01月26日

だめなら逃げてみる

『だめなら逃げてみる』 小池一夫 著
心理本やHow toものは好きではないんだけど、
帯に描いてある小池さんの似顔絵がスラムダンクの安西先生みたいだったから
手に取ってみた。Twitterで人気らしい。

小池一夫って確か漫画の原作者ではなかったか、、、、
その程度の認識しかなかったんだけど現在御年82歳。親くらいの年齢だ。
読んでみると、この方も色々とあったんだろうなあ、と想像できるお言葉。
机上でなく現場からの言葉、ということで結構心に染みました。

年末は小池さんの言葉で乗り切っていたかも。
どの言葉も(ああ、そうそう、、)と思い当たる。
自分もそう思うんだけど、
こうやって本にして言葉にして貰えると励まされます。
頭の上からじゃなくて横からの励まし。

ちょっとショックだったのが
「僕の『育ちの善し悪し』の定義は
 厳しく躾けられたとか、学歴や職業なんかではなく、
 結局は、どれだけ親や周りの人に
 愛されて育ったのかということだと思うのです」

う〜〜ん、、、えらいこっちゃ!
慌てて自分を愛してくれた人たちを考えた私。
感謝の心を忘れてはいけませんね。



それからこちらは図書館で借りた本
『ほどよく距離を置きなさい』 湯川久子 著
著者は90歳の弁護士さん。

弁護士という職業的なものと、題名の「〜〜しなさい」
という言い方で高圧的なものを感じ、
売れている本らしいがしばらく本を開けずに放っていた。
しかし読んでみると、
人生に追い詰められた人たちを相手にしてきただけあって、なかなかよかった。
題名で損をしているのではないかこの本は。

要は、思いやりをもって生きなさい、ということ。
老いていく時間は、こだわりを手放して楽になっていく大切な贈り物かもしれない、
ということ。終わりよければすべてよし。
私もまだ先が長いからそうなれるように心します。




posted by えるか at 16:36| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月24日

流転の海 完結

『流転の海』から始まった宮本輝さんの自伝的小説が
昨年やっと完結した。
37年間。
1巻から完結巻の第9巻までなんと37年もかかった。
宮本輝さんはいま71歳。34歳の時から書き続けてこられたのだ。

なかなか次の巻が出ないので、
出たときには前のことをさっぱり忘れてしまっていて、
(この人、誰やったかいなあ、、)と思うことしばしばであった(登場人物は1200人)。
しかし主人公の松阪熊吾の豪快で人情味溢れる魅力的な人間像は揺るぐことなく
私を魅了し続けた。次巻が出るのはいつだろう。
いつも心待ちにしていた。

あまりの刊行の遅さに、途中から、
ひょっとして完結する前に宮本さんが亡くなってしまうのではないか、、、
などと実は心配していたのである。

宮本輝さんも、あとがきで
「心の底で未完で終わってしまうのではないかという恐怖があった」
と書かれている。そして、書き終えた瞬間、
ひとりでガッツポーズをして「やった」と小声で言われたそうだ。
作家としての責任感を果たせた安堵感だけで、達成感などなかったと。

「お前はやり遂げた。ひとつの小説を37年間も書き続けて、
 前はえらい。見上げたやつだ。
 どんなに褒めても褒めたりない」

と自分を称賛する言葉を胸のうちでつぶやきはじめたのは、
数日たってからである、と書いておられる。
そう、
ほんとうにあなたはえらい!どんなに褒めても褒めたりない!
と、読み終えて私も何度も何度もそう思った。

後半はしだいに落ちぶれていく自分の父親を書くことになる。
苦労した母親の事も書かねばならない。
それがどれほどのしんどい作業であることかは想像してあまりある。
私など途中で気が狂ってしまうだろう。

それが出来たのは、
父親である松阪熊吾が魅力的な人であり学は無くても品位ある人であったこと、
人間味溢れる人たちがまわりにいたこと、
子どもであった作者が人の機微を感じ取れる人間であったこと、
そして何より作者は両親にとても愛されて育った人であった、
ということに尽きると思う。

「37年もかけて、7千枚近い原稿用紙を使って、
 なにを書きたかったかと問われたら、
 『ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇』
 と答えるしかない。それ以外の説明は不要だと思う」
                     (あとがきより)

宮本輝さん、お疲れさまでした。完結ほんとうにおめでとうございます。
素晴らしい小説を読ませていただいてありがとうございました。


追記

『新潮1月号』に小川洋子さんとの「流転の海 完結をめぐって」特別対談が載っている。
小川さんのホステス振りがこれまた素晴らしいです。

「熊吾は相手の肩書きや社会的立場や生まれに関係なく、
 自分の目の前にいる人を丸ごと尊ぶことが出来る人」
と小川さんは評しています。









posted by えるか at 21:48| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月22日

歩きながら、考える

17日付朝日新聞オピニオン&フォーラムに寄稿された
高橋源一郎さんの記事『歩きながら、考える』

今日のデジタル版の見出しは
『刑期無制限、絶望の外国人収容施設』だった。

私は時々載る高橋さんの文章を読むために
高い購読料を払っている、と言っても過言ではない。
要旨は、(だいたい)以下の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・

『収容所の外国人 完了のない支配』

コンビニでたどたどしい日本語で働く外国人の声を聞いて、
彼らはどこから来たのか、どんな人なのか、そう考える。
でも、一瞬のことだ。そして私たちはすぐに忘れる。

去年、出入国管理法の改正が議論を呼んだ。
改正入管法は労働力としての外国人受け入れを目指してつくられた。
この国の経済にとって役立つ人材。それが彼らに与えられる役目だ。
それ以外のことには皆無関心だ。
心の底で疼くものがあった。

半世紀前、高橋源一郎さんは学生運動に参加していた。
ベトナム反戦、大学制度改悪反対。
その中に「大村収容所を解体せよ」というのがあった。
「彼らも人間なのだ。絶対に忘れてはならない」
どこかでそんな声を聞いたけど、
その時も、通り過ぎただけだった。

大村収容所は1950〜1993年まで、
国外退去命令をうけた「韓国、朝鮮人」を集団送還するまで収容する場所だった。
「刑期なき獄舎」「監獄以上の監獄」とも言われた。
収容期間には法律上の規制がなく4,5年にもわたる長期の収容によって絶望し、
自殺や暴行に走るものも続出した。
その事実は全く世間に知られることはなかった。

「法規を破る者は法による懲罰が科せられるが、
懲罰には完了があり、完了の後、平常に戻れる余地がある。
法に書かれないしきたりには完了が無く救済の余地は全くない」とは
独裁政権に抵抗する学生運動に関わって死刑判決を受け、
送還されれば死刑を免れない状況にあって収監されていた在日朝鮮人の言葉だ。

「大村収容所を廃止するために」創刊(1969)された「朝鮮人」の
終刊号(1991)で哲学者の鶴見俊輔は、
「日本人であることから離れて、人間として見る目を持っていれば」と述べている。
目の前にいるのは同じ人間で、苦しむ人間と、
それを助けることのできる人間の2種類だけなのだ。

半世紀前、学生運動で逮捕され拘置所に入っていた高橋さんは独房で7ヶ月過ごし、
拘禁性ノイローゼになって壁に頭をぶつけ続けたりした。
明確な拘置理由もわからずいつ出られるのかもわからず壁の中にいることに疲れ果ててしまった。
今だにその頃の悪夢を見るそうだ。

1世2世が減り「集団送還される在日韓国、朝鮮人が居なくなると
大村収容所は閉鎖された。
今センターに収容されているのは他の外国人たちである。
「入国管理センター」と名前は変わっても本質に変わりはないように思える。
今も「刑期」という徒刑人として「強制送還」の日を待っているのだ。

3年近く収監されている中国人の男性は、
大阪に障害のある子どもと妻が苦しい生活をしており、生活基盤のない中国に戻れない。
ネパール人の元留学生で母国で政治活動をしたため帰れば命の危険のある男性は
難民認定を求め、4年の収容生活を送っている
「いつかだれかがてをのばして
 たすけるんじゃないか、、、、 
 きぼのひかりをまっています」


ほんとうに私たちは彼らのように壁の向こうに閉じ込められ、
自由を奪われることは絶対にないと言えるのだろうか。
しょせん、すべては「他人」の出来事なのだと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


悪夢のような状態がいつまで続くかもわからない恐怖と絶望、
そういう状況にいる人はきっと私たちのまわりにもいるはずだ。
私もかつてそうだった。誰も助けてくれない、とその時思い知った。
大きく言えば今もそうなのかもしれない。
人のことなどかまっちゃいられない。世の中ってそういうものなのだ、
と思ってしまった自分は可哀想なペシミストなのか。

話はちょっとずれるけど、
戦争は経済で起こるのだ、とやっと気がついた。
ヒトラーが台頭したのも結局は経済を潤したからだと知った。
ヒトラーだけを悪者にしているけど、どの国も人もそれにのっかっていたのだ。
国と国との争いも結局は経済なのだ、
と、各国の外交の何枚にも重ねられた舌を見るにつけ
人間の性なのだと悲しいかな思ってしまう。

国対国で起こっていることはほんとうは子どものころから日常茶飯だったのだ。
どうして皆そんなに自分勝手で意地悪なのかと思っていたけど、
動物も縄張り争いを繰り広げているのだから、
生きることとはそういうことなんだろう。ここは天国ではないのだ。

報道されることはごく一部で時に歪められており、
私たちは泣いている人たちの事を知ろうともしないし、
知っても見ないふりをする。人のことなど知ったこっちゃないのだ。
でも、思いをはせる、ということを自分の事ばかりだけでなく、
忘れないようにしなければいけないとしんみりとする。
posted by えるか at 19:54| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月19日

花田一族

もはや悲劇の一族といっていいのかもしれない花田一族。
この一族に次々と起こる出来事を知るたび、
人ごととは思えない私がいる。

女将さんが部屋を飛び出し離婚。そのあと親方は亡くなった。
この時、私は子どもが息子2人である、ということや
見た目の良い親方が亡くなってしまう、という事実に
なんだか似たものを見るようで、人ごとながら
ワイドショーにフラフラ出てくる花田紀子さんに(もう止めたら、、、)
とハラハラしながら見ていたのだ。(うちは似て非なる貧民だけど)

まさか部屋が消失し、貴乃花まで離婚してしまうとは。
呪われた一族、、という小説みたいな言葉を思い浮かべてしまうのは、
このところ自分たちのことを、ふとそういう風に思い浮かべてしまったことがあったからだ。
ここまでくると、もはや似ている、なんて思うのは恐ろしく、
どうぞ似ていませんように、なんて勝手なことを願っている。

なんでこんなことになってしまったのか、
人一倍頑張ってきた人たちだろうに、、、

幸福な人たちは皆似通っているが、不幸な人たちはそれぞれに皆違う、
とトルストイは言った。
幸せには幸せが集まってくるし、不幸には不幸は集まる。
生まれながらに親の経済力である程度その後の人生が決まってしまうのと同じように、
幸不幸にも言えるな、と思うこの頃。

ひとつ掛け違うと壊れてしまう、ということを自分も経験しているだけに、
なんとか花田一族にこれからは良いことが起こりますように。
切にお祈りいたします。私のためにも、どうか。
posted by えるか at 11:50| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

稀勢の里の引退報道

稀勢の里の引退はテレビはどの局も過ぎる位に好意的だった。

横綱になるには早すぎたと相撲に詳しくない私でさえそう思う。
その後に稀勢の里を襲った怪我は横綱でなければさっさと休場し、
きっと今でも相撲を取れていただろう、と誰しもが思い、
稀勢の里を気の毒に思っていたはずだ。

稽古だったらいくらでもする、いくらでも努力するし頑張れる。
でもその努力をすることが出来ない「怪我故障」はどんなにか辛かろうか。
だから日本中が稀勢の里に優しいまなざしを送ったろう。

私も数々の事を故障で駄目にして諦めてきたので、
気持ちが同調してしまった。私だけでなく、
故障を抱えたことのある人は我が事のように感じたのではないだろうか。

「土俵人生に悔い無し」と言った稀勢の里に(ほんとう?)と思ったけど、
そう言って収める事は大切なのだと考えさせられた。

でも思う。
これがモンゴル出身の横綱だっだらどうであったろうか。
一斉に同調するマスコミに違和感を覚えた。
posted by えるか at 20:23| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月10日

今年もよろしくお願いします

もう10日になってしまいましたが、
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末年始は超忙しく、それからもまあまあ動くことがあって
今のところ年明けはいい滑り出しです。

今年は心機一転、明るくやっていきたいです。
年末にパソコンをやっとやっと替えたので(Windows7から10になりました)
さくさくと動くようになって、まあ今までどんだけ遅かったねん!
文字変換も時間がかかっていたので、パソコンを開けるのも嫌だったのですが、
これを機会に今年はもっと更新したいと思います。

昨日、電車の中で同行の人に「今年は婚活しようかなあ、、」
と言ったら、皆心の底から仰天したようですごい顔になり、
その顔をみてこっちも仰天しました。
婚活を口にしてもいけない歳なのだなあ、、、と悲しくなりました。
負けるもんか!!
今年からはもう人の言葉に傷つくことは止めるのだ。
いや言葉じゃなくて表情だったけど(笑)
posted by えるか at 21:45| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月28日

年の瀬

「帰ってきた」なんていいながら全然更新もせず申し訳ありません。
年も押し詰まってきたのでご挨拶を申し上げます。

今年はホントに辛かった。
人生で3、は言い過ぎかもしれないけど5本の指に入るくらい辛かった。
ブログも止めたしね。
あらゆる事が停止してしまってどうしていいかわかんなかったなあ。

チェロ止めた事が一番の原因だったけど(リストラされたような気分?)
自分の人間性にも疑問が出てきて、ひょっとして私って良くない人なのか、、、、
って、それが結構効いたかなあ。
何をやっても結局は退く事になってしまう、というか退いてしまう自分という人間。

夏にあった小学校の同窓会で好ましく思っていた男子から、
苛められた、と言われてものすごくショックだったこと。
後で色々記憶をたどり寄せてみると、嫌われてたんだ、と気がついて、
それは自分のアイデンティティを、わりと皆に好かれる、と思っていた自分を
打ち砕くには十分だった。

もう一つ、心理士に「母親に虐待されて育った」と言われたこと。
自分でも(もしかしてそうなのか)とは薄々思っていたけれど、衝撃を受けた。
その後、猛烈に人生に腹が立ってきて、
やがてそれは私も子どもを虐待したのかもしれない、という後悔に変わった。
親子関係は繰り返すから、、、
そんな事を考え始めると全てのことが負のスパイラルとなって
とめどない自己否定へと転がっていったのだった。

新聞のアンケートの「自分の人生に満足ですか?」という問いに
7割以上の人が「満足」(概ねも含む)と回答していたことにも大層驚いた。
子どもの頃からウツウツと暮らしていた自分はすみっこの人間だったのだ、
という驚き。みんな、そんなに毎日楽しいの?

まあ、そんな事を言っていても仕方がない。
まだ先も長い。年が明けたらやり直しだ。いろんなことを立て直して
また来年は頑張ろう。自分を大事にしよう。
皆様、よいお年をお迎えください。





posted by えるか at 19:06| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月01日

バッタを倒しにアフリカへ

『バッタを倒しにアフリカへ』 前野ウルド浩太郎

昆虫学者の筆者は大学院を出たが安定した職も無く、
常に不安に苛まれていたが一発逆転を狙おうと
言葉もわからないモーリタニアに出発する。

子どもの頃に、バッタの大群に襲われた女性が、
緑色の服を食べられたという記事を読んで以来、
自分も緑色の全身タイツでバッタの大群に躍り出て
バッタにむさぼり喰われたいという野心を胸に。

ところが入国時に賄賂を渡せなかったために荷物を没収されたり、
肝心のバッタがなぜか全然発生せず、
帰国日が迫り来たり金が無くなったり、と困難が次々と発生するも、
現地の人々の明るさいいかげんさ、本人の天文的?な明るさと
バッタが大好きというその一念で困難を克服していく様は
文章も上手くまさに抱腹絶倒。

アフリカで大発生して農作物を食い荒らすサバクトビバッタの
生態研究、駆除技術の開発に従事する。
熱心な活動は現地の上司に認められ、モーリタニアの高貴な
ミドルネームである『ウルド』を与えられる。

私は虫は苦手というより嫌いだがとっても面白かった。
理系の研究者はなぜか文章の上手い人が多い。
ひねくり回さず素直でかつ専門的な知識とあまり世間ずれしてないから?
かどうかはわからないけど純真無垢?な青年の一発逆転物語ということで
安心して楽しめます。

これを読んでモーリタニアがアフリカのどこにあるか、
日本のタコはほとんどモーリタニアから輸入されている、
ということを知った次第です。



posted by えるか at 17:53| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

ひとり 瀬戸内寂聴 句集

『Eテレ NHK俳句 瀬戸内寂聴の俳句と人生』(再放送)
は素晴らしい番組だった。
95才にして初めての句集を自費出版していきなりの
星野立子賞受賞。さすが寂聴さん、只者ではない。
句会は33年前から開かれていたようだ。

番組でのインタビュー。
「このところ入退院を繰り返し、句集を出す前ちょっとウツだった。
 自分で自分を励ますために句集を出した。
 一番好きな事は小説を書くことだけど、もうそんな体力は無い。
 でも俳句なら息をひきとるまで書ける。
 出そうと思ったら元気になった」

番組では何句かが紹介されたが、どれも寂聴さんにしか詠めない句で
心を射抜かれるようだった。
どの句もすばらしいけれど私の胸に一番突き刺さったのは

『子を捨てしわれに母の日喪のごとく』
詠めそうで詠めない、一切を詠み込んだ句だと思う。

「出家してから全くひとり。ひとりですよ。
 どうせひとりだと思えば諦められる。
 人をあてにすることもない。
 辛い事、気に入らないこともひとりと思えば諦められる。
 いい事があるとお恵みと思える」

『紅葉燃ゆ旅立つ朝の空や寂』

東京女子大の後輩である俳人の黒田杏子さんの言葉。
「給料貰って餌付けされてる人間に本当の物は書けないよ、と言われました。
 寂聴さんの句は寂聴にしか書けない一句一句が絵巻物である。
 この世に抗って生きてきた人生の絵巻である。
 
 ウツになったけど句集を出して自分を励まそうとした、
 というその考え方がすでにオリジナルである。
 女の人には珍しい無頼の人」

寂聴さんの言葉。
「人生の最後に俳句という素晴らしいおもちゃを頂いた。
 死ぬまでにもう一冊句集を出したい。こんなこと言って
 俳句に人生をかけている人は怒っていると思うけど」

『御山のひとりに深き花の闇』



今年、私は一生続けようと思っていたチェロを弾く事を失った。
その喪失感は筆舌にし難い。
その最中、ひょんな事から句会に誘われ、
全く縁の無かった俳句を付け焼刃で勉強しはじめて詠み始めると、
なぜかとても心が救われていったのだ。

長い文章ではなくたった17音に自分を吐き出す、
ということが心地いい。
こんな世界があったのか、と過去現在の俳人の作品を読んで、
こんな表現があるのか、と驚くことも日々楽しい。

今の私に俳句がそれに代わるものになるかはわからないけれど、
かなり慰められていることは確かだ。
私らしい句を詠んでいきたいと思う。
posted by えるか at 21:24| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

聴きました!

テレビ画面の付箋に気付き、(はて、なんじゃらほい?)と思いつつも
なんとか『村上レディオ』聴きました。目出度い!

村上さんの声は全く想像通りだった。あまりの想像通り振りにびっくりした。
とっても聴きよく心地よく懐かしいようなお声。
普段のFMもこんなトーンで喋ってくれれば聴くのになあ。
声が若くてそれにも驚いた。

先日書いた『チャーちゃん』の作者、
保坂和志さんと顔似てませんか?
実は『ネコメンタリー』の番組で保坂さんのお顔を見た時、
(村上春樹に似ている、、)と思っていたのだ。特に目元。
歳も同じころではないだろうか。声も似ているような気がする。
まあご本人たちにはどうでもいいことでしょうが。

ハルキストでもなくノーベル賞にドキドキすることはないけれど、
作品はリアルタイムで読んできたので読者の端くれではある私。

前にも言ったけど再度言う、村上さんと誕生日が一緒です!

posted by えるか at 20:55| テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする