2018年02月09日

10年

このブログを始めて今日で10年たった。

10年も続けてやっていたものなんて数えるほどしかない。
さくさく書いていた初期に比べ、
途中から書いてまで言うことか、とモヤモヤ続きであったけれど、
とにかく10年は目出度い。

この拙ブログに来て下さった皆さま、
ほんとうにありがとうございました。
心からお礼申し上げます。

50歳になった時は、なんだかんだいっても
半世紀生きたということに少しばかり感嘆した。
しかし60歳になって、
全く成長してない自分にあきれるばかりだ。

たぶんもう、このまま歳を取っていくのだろう。
賢くもならず大人にもならず、
いつも同じあやまちを繰り返して、
それでも人生は続くのだ。

始めた頃は、いつか息子が読んでくれたらいい、
と思っていたけど、今となってはもうどうでもいい。
こんな幼稚な母で情けない。

とはいえ、
このブログを持っているという事は心の支えでもあった。
四人家族の主婦から一人暮らしの寡婦で無職になってしまい、
そのうろたえようは筆舌し難いものであったけど、
このブログは心の友のようでもあった。

書く事でふんぎりをつけたり、ここに書けるようになるまで、
そこまで心を収めるのに何ヶ月もかかったり。
まあ書けない事の方が多かったけど、それは誰しも同じだろう。
物事をちょっと違う角度から切ってきたつもり。
普段の私を見せない、けれどどっこいこういう見方もしているぞ、
という方向でやってきたつもりです。

ひとつ失敗したのは、ブログの存在を明かした人たちの中に、
読まれる事が苦痛になってしまった人が出てしまったことです。
とはいえ他の方たちの読んで下さっているというお話には、
どれほどか励まされた事だろう。
ありがとうございました。
もう一つの世界を持っているという事は、なかなかよろしき事でありました。

ここに来て下さった皆さまに心からお礼申し上げます。
アクセスされるということはかなり嬉しいものでした。
ほんとうにありがとうございました。
これでこのブログは一区切りつけたいと思います。
たまには何かを書くかもしれませんが、
ひとまず『ブログを書いている』という荷(?)を下ろそうと思います。

皆さま、どうぞお元気でお過ごしください。
ご多幸をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。  (記事総数 1068)←がんばった!

              えるか


posted by えるか at 22:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

最近のブーム

マガモの尾羽(尻尾のところの羽根)が
寝ぐせのように上にピンピンとカールしていることです。

野鳥観察ではあまり重要視されないマガモ、、、
「マガモか、、」というようにスズメ扱いです。
時には「マガモも良く見ると綺麗なんですよ」
と先生は教えてくださいますが、
尾羽のことは周知の事なのか触れられたことはありません。

だからこの冬マガモのお尻がピンピンはねているのを見つけた時は
大発見したような気分になり、家の図鑑をあれこれ見ました。
ピンピンはちゃんと写真にもイラストにも載っていましたが
なかには角度のせいか書いてない図鑑もありました。

先生に聞いても「????(それが何か?)」
という感じでどうでもいい感じでしたが、
私の中ではテンションが上がりまくりの事実で、
マガモを見つけると尾羽のカールを見て、ひとり悦にひたっています。

posted by えるか at 23:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日のショック

厚化粧だと言われました。
posted by えるか at 22:57| 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

池干し

池干しとは池の水を抜いて底泥を乾燥させ、
紫外線や温度変化で殺菌させたり有機物を分解したり、
するものらしい。
農業のかんがい用水に使わない冬期に行う。

最近ではテレビ番組で池の水を抜き
外来魚や捨てられたペットのワニやカメを発見したりしている。
この間行った枚方の山田池は、
テレビ東京の番組で小泉孝太郎さんが来たとか。

それはいいんだけど、せっかく冬になり
渡ってきてくれた鴨の居場所がなくなり、
観察を楽しみにしている私としては(なぜに冬、、、)
と残念無念なのだ。

池の水位がどんどん下がってくると、
鴨たちの密度が濃くなり、
潜水鴨のキンクロハジロなどは
水が浅いので普段は見られない泳いでいる姿が
池のふちから見られたりする。

泳ぎにくいのかバタバタと足を動かし、
白黒なのでペンギンのようだ。
やがてもっと水位が下がって彼らが去ってしまうと、
普段は居ないサギ類がやってくる。
池のへりに下りたって魚を狙っていた。

普段は池に縁のないカラスもやってきて
石をひっくり返して遊んでいるのか餌を探しているのか。
小さいコサギが意外にも気が強く、
カラスの見つけた餌を奪っていた。

カルガモも普段いないのにやってきて池底を歩き回り
泥の上は鴨の足あとだらけで、
それを見るのはなかなか面白いけど。

丘にものぼるヒドリガモは
どこかに飛んで行ったり戻ってきたりしているけど、
餌に困っているように思う。どうしてるんだろ。
北に帰る体力は培えるのだろうか。

見た事もない鴨が来ていた日があったけど、
次いったらいなかった。
(模様を覚えて帰り図鑑で調べたらミコアイサの雌だった
なぜに1羽でいたのだろう)

鳥たちは目がものすごくいいらしいけど、
ちゃんと食べられているのだろうか。
3月になったらまた池の水は入ると思うけど、
そろそろ北へ帰らねばならないだろう。

公園で見かけた地域猫は避妊手術をされた猫だったけど、
とっても小さくて痩せていた。
猫風邪をひいていてウィルスにやられているようだった。
カーちゃんはもういない。(『カーちゃん』)
(『カーちゃんその後』)
無事に冬を越せるといいのだが。

posted by えるか at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

コラボ 阪急電車×クーピーペンシル

昨年の秋だったか、新聞に載っていた。
「阪急電車の車体のマルーン色の入った色鉛筆を
 サクラクレパスとのコラボで阪急電車が売り出した。
 門外不出のマルーン色を出すのに何回も試作した。
 限定版、売り切れ次第終了」

(欲しいけど、でも実際使うことなんてあるかな、
 そのうち見に行ってみよう)
とのんきに構えていたらあっという間に売り切れて、
実際は駅の売店が開く前に行列まであったらしい。

HPには
「買えなかったお客様、申し訳ありません。
 再販を考えておりますのでお待ちください」
とあった。
阪急関係の人に聞くと「阪急電車フリークはすごいですからね」
とのことであった。

待てど暮らせどなかなか再販されず、
今日、駅で見つけた時は嘘かと思った。
駅のコンビニASNASでは、
阪急電車のファイルやらカレンダーを見かけることはあっても、
目当ての色鉛筆にお目にかかることはなかったのだった。

「おひとり様5ケースまで」と書いてあったけど、
一週間ほど前に売り出されたそうだけどまだたくさんありました。
どうしても欲しい人は前回ちゃんと手にいれたのかな。

特に使うあてはないけれどちょっと嬉しい買い物。990円。
やっと買えたわ〜。
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しかしまあ、どうしてこうボケるんだろ、、、
posted by えるか at 23:54| 買い物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

旅かえる

昨日の新聞に「中国人に大人気の日本のアプリ」
と紹介された「旅かえる」。

カエルが旅に出て写真を送ってきたり
おみやげを持って帰るという癒し系のゲームアプリ。
試しに入れてみた。

カエルはあんまり可愛くないし、
画面のアイコンは緑色の芋虫のようでぎょっとするし、
送ってくるのは写真といってもイラストだ。
こちらの仕事は生えてくるクローバーを刈り取って、
食べ物を用意することくらい。

しかし、
放置系と言われているのにしょっちゅうアプリを起動させて
カエルが帰ってきてないか確認している私。
実はなかなか楽しいのだよ。

ほとんど静止状態のカエルが
たまに違う動きをしていると嬉しい。
さっきは手紙を書いていた。

ネットの書き込みによると、
こちらが用意したご飯や道具をカエルが自分で
リュックに入れるところを見た人がいるらしい。私も見たい。

うちのカエルは
夕べは遅くまで本を読んでいたが、
朝起きたら出掛けた後だった。
今はまた帰ってきてベッドの上でこっくりこっくりしながら
本を読んでいる。もうすぐ寝るのだろうか。

とまあすっかりゲーム会社の思うつぼの私なのだか、
課金はしないよ。
posted by えるか at 23:01| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

浮いている

若い子向けのコスメショップで。

わたしはPTAの見回りか、
万引き監視員みたいでした。

そそくさと出ました。
posted by えるか at 14:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月28日

しんどい人

昨年チェロのアンサンブルに入ったけど肩の故障で
結局途中から参加出来なかった。
途中までは頭を突っ込んでいたので籍はそのまま、
実態は部外者というなんとも情けない事であった。
先日演奏会があり、
もやもや気分は取り敢えず終止符を打ったのだ。

ある程度いろんな事がわかっているだけに、
1つの出来ごとに対する人の反応がこれほどまでに違うことに
今さらながらに気がついた。

どんなことでも捉えようは百人百様千差万別、
人のキャラクターを表すものであると思った。
中に一人ほんとうに楽しいところだけを上手に採り入れる人がいて、
彼女にするとどんな人も明るく楽しく出会いはハッピーという感じ。

昔ならそうは思わなかったかもしれないが、
非常にうらやましく見習うべきであると思った。
その人に言わせると、
私たちはもう落ち込んでいる時間なんて無いんだそうだ。

人は多分変わらない。
考え方には癖があり同じ事を繰り返している。
よく揉め事に巻き込まれる人はどこへいっても巻き込まれているし、
時と場所が違うだけで、いつも同じ事を言っているように思う。
私もそうだ。

正月にお嫁さんに「興味ある〜」と言われて
探してみた「星座と血液型占い」。
(以前の拙文はこちら『星座と血液型』)

久方振りにみても相変わらず私の
「星座と血液型の性格が相反するのでしんどい人」
という内容は変わらないが、
他の人のを読んでみると自分が可哀相に思えてしまうのは
仕方ないにしても、
でも他の人はやっぱりもっと楽なのだ、ということとも解るし、
自分がしんどいのはこれは組み合わせのせいなのだ、
とそのせいにしてしまえば、どっこい生きていけそうだ。

皆、そんなに楽に生きていたのか〜〜〜。
知らなかった!


posted by えるか at 23:19| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

還暦

先日還暦を迎えた。
寒くて晴天というところがちょうど生まれた日も
そうであったそうでなんとなく目出度い。

30歳になる時は20代ではなくなる事を嫌がる人を尻目に
「30からが勝負なのだ」
と鼻息も荒かったが、
その勝負にも敗れ今回はどうだろう。

やはり60になることを嫌がる人たちを尻目に、
「60になったらもう一度生き直しのスタートなのだ」
と思っていたけど、昨年の後半、肩を痛めてたいそう辛く、
そんな意気込みもどこかに行ってしまった。

どうにも頭がすっきりせず考えることも要領を得ず、
これから先どうやって暮らして行こうかと暗澹たる気持ちではあるけれど、
ひとつ思った事は、
落ち込む事をやめようと思ったことだ。

いつの間にか全てのことを自分のせいだと思うようになっていて、
ひどい事をされても嘘をつかれても、
こんな人と近づいている私の性根が良くないのだ、
などと結局は自分のせいにしている。

いつの間にこんなことになってしまったんだろ。
「腹がたったときは『いつか仕返ししてやる!』
くらいに思っていないと病んでくる」
という言葉を走り書きしているのを見つけた。

いい人でありたい、とか公平でありたいという欲望が
私にはあるんだろう。
腹をまっとうにたてる、ということを上手にできるようになりたい。
陰口をたたいて舌をぺろっと出すくらいの芸当は
できるようにならなければね。
posted by えるか at 19:36| 一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

土の記

『土の記』  高村薫 著
上下巻からなるこの作品は昨年末、大沸次郎賞を受賞した。
野間文芸賞とのダブル受賞。

主人公は奈良の農村の旧家に入婿した余所者である。
妻はいわくある事故で植物状態となり
16年寝込んで亡くなった。
主人公は一流会社を退職したあと、
茶畑や田畑を実験農業と近所に揶揄されながら
ひとりもくもくと耕作している。

私がこの本に着目したのは、
「妻を亡くしひとり農業をすなる老人の
 痴呆の進みつつある日常」
という宣伝文句にいたく興味を持ったからだ。
認知症がちらつく人間の意識はどう描かれるのか。

余所者で変わりものとされている主人公だが、
親類や近所付き合いはきちんとしており、
誰が何処で何をしているか全て把握している田舎であるので、
帰りが遅くなると山へ親戚が様子をみにきてくれる。

主人公伊佐夫の視点で物語は動いていくが、
私にはえらく羨ましい伊佐夫の生活。
自分1人の生活は保ちつつ決して孤立ではなく、
義理の妹や甥や親戚たちが代わる代わる立ち入ってくる。
旧家らしく彼らは豊かでベンツやBMWに乗っているのである。

癇が強く優秀な娘はとっくに故郷も親も捨て、
ニューヨークに渡り再婚する。
伊佐夫にはなすすべはないのである。
あるのは狂おしいまでの土への執着と
大地の匂い、虫やカエルやナマズや鳥の声であり、
それらは読み手のこちらまで圧倒する。

親戚が捨てていったトイプードルを飼う事にして
トリミングにまで出してやる伊佐夫は、
ものごとを淡々と受け入れる人なのか。

意識としての呆け具合は相当なものであったけれど、
日常をこなし近所つき合いもこなし、
娘への受け答えも立派な上等な人である。

こんなに朝から晩まで土に触れている人でさえ
呆けるのであるから、
私のような暮らしの者が今さら呆けの心配などしても、
仕方がないのかもしれない。と思いつつ読み進めた。

いつも夜に読んでいたので、
本の中の伊佐夫の呆けは自分にのりうつり、
このままどうなっていくのか、
果たして私もどうなってしまうのか、
伊佐夫の行く末に固唾をのんでいたのだけれど。
思わぬ結末に私としてはちょっとショックだった。
一緒に呆けてきた私はどうなるの?

私がここに呆けた頭でちんたら書いても仕方がないけど、
高村薫氏の作品は毎度骨太でたいした書き手であると思う。
じっくり読むとまさに我が事として襲ってきます。

伊佐夫は羨ましいほど幸せな人だったと思う。
土に生き土にまみれ土に還る。
まさに『土の記』なのだ。


posted by えるか at 19:42| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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