2017年05月28日

あひる

『あひる』 今村夏子 著

先日の新聞の片隅にこの作品が
第5回河合隼雄賞を受賞した、とあった。

今村夏子さんが『こちらあみ子』(「あたらしい娘」改題)で、
太宰治文学賞と三島由紀夫賞を受賞されたことは
その内容からしごく納得したけれど、
はて、河合隼雄賞?とちょっと驚いた。

しかし子どもの頃の不安感、理不尽さを表現しているこの作品に
深く共感していたので、
敬愛していた心理学者・河合隼雄さんの賞を受けたことは
意外にちゃんと選んでいるんだ、などとえらそうな事を思った。

この人の作品は社会の片隅と捉えていいであろう
弱者のただ一点の目をもって描かれている。
当の本人は自分の置かれている状況がかなりやばかったり
可哀相であることを全く認識していない。
子どもなんてその最たるものだろう。
子どもは親も境遇も選べない。その中で生きていくしかない。

この人の作品に出てくる人物は自分を人と比べる余裕もない。
読んでいくと、ちょっと危ないんじゃないか、ということが
こちらの過去の澱のような不安をかきたてる。
何か起こる、何か起こる、、、怖い。

ある日、家にやってきたあひる。
あひるを見にくる小学生たちのために父母は
おやつやジュースを用意する。
追いかけ回されだんだん元気を無くしていくあひるは
ある日いなくなる。
ところが親はまたあひるを手にいれて、、、、やがて、、、。

この人の作品は繋がっているところもあって
ぐれてしまう兄ちゃんや離れに住まわされている婆ちゃんも、
ただ主人公の一点だけの目で語られる。

こういう風に書けるんだなあ、と次回作が楽しみな人だ。


posted by えるか at 22:41| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

みんな他人

そんな事を言いながらもふと思い出したことがある。

母がちょうど私くらいの歳の頃、
私が嫁に行き、弟にも嫁さんが来て、孫もそれぞれ出来た。
その頃の母は、
どうやら自分がひとりっ子で
兄弟が居ないことに随分と悲哀を感じていたようである。

そして母の友人がその娘さんと仲良く旅行したりしているのが
とても羨ましかったらしく、
恨み事を書いた長い手紙を娘の私に何度も寄こした。

自分がいかに親の言う事をよく聞いたか、
いかに自分の父親が素晴らしい人であったか、
自分がどれほど苦労したか、どれほどいい人で賢い人間であるか、
そして懐かない娘である私への恨みごとが書いてあった。

筆圧の強い便箋に書かれた何枚もの手紙を、
私は最後には読まずに捨てた。
そして、
「お母さんには仕事がありたくさんの友達がいて、
お嫁さんもいるやないの。
もう私のことは諦めて」
と電話口で言う私に母は
「みんな他人や!!」と金切り声をあげ、わ〜〜っと泣いたのである。

その時はあきれ果てため息をついただけだったけど、
今、少しだけその時の母の気持ちがわかる。

母はなんでも口に出す人で、外面は良く、
家で私と父に当たり散らす人だったけど、
そんな母を見て育った私は、家では無口に育ったけど
多分、中身は母と同じなんだろう。

そういうことを繰り返しながら、
ある時母は私をバッサリと切った。
ある日を境に父も切り、完全に弟一家にシフトした。

海外ではハワイが一番良かった、という母に
「いつか一緒に行こうよ」と何気なく言ったら
「あなたは友達が好きなんでしょう?
 友達と行けばいいじゃない!私は友達と行くわ」
とえらい剣幕で返され、
そこまで大人げない母に唖然としたものだ。

実際、何度も友人と海外旅行していたと知ったのは、
母が倒れてからだった。
父が倒れてから、再度またすり寄ってきた母に
もちろん、何を今さら、とうんざりしていたけど、
今、無い無い病に罹っているいる自分の中に母を見る。

あれほど嫌で似たくないと思っていた母と、
結局は私は同じ人間なのだろう。女王様の母は、
実際は不満で充満しつくした人であった。

自分がどれほどに嫌で出来そこないの人間であることか、と
今さらながらに気がついて茫然とする。

気をつけたい。
もう落ち込むのはやめにして、
また明日から頑張ろう。


posted by えるか at 23:28| 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

無い無い病 リターンズ

さて、
ここにきて家人が無いのが堪える。
「どないなってんねん、これ」とか
「なんやねん、あれ」とか
家庭内のくだくだを言う相手がいない。

過去のことも未来のことも、
一人だけで受け止める事に疲れてしまった自分がいる。

春からずっと不調で、朝起きてもやる気が起きず、
それはもう病的なほどで、
またまたやってきました「無い無い病」
無い無いどころか今回は「ひとりで背負う有る有る」まで、
「無い無い病 plus」に進化。
今期は重症なり。

母の友人、
私と同い年の息子さんを長男に3人の息子を持つ82歳。
私ほどではないけれど早くにご主人を亡くされたので、
どことなく共感を感じていた。

「子どもが男の子だけと分かった時、
 あ〜、将来ひとりになると覚悟したの」

「あ、私もそう思いました」

「友人も呆けちゃったり亡くなる人が増えてね。
ほんとにもうひとりになっちゃったわ。

でも私には姉と妹がいてね、
ずいぶんと慰められたものよ。」

「私にはそういう姉妹もいません。
時々、天涯孤独だと思う時あります」

そう言うと
「ほんとねえ、、、」と
その人は深く頷いてくれたのだった。

人は、息子しかいないというと
「カワイソ〜、気の毒〜」といい、
おまけに姉も妹も居ないというと
「ああ、、、、」と掛ける言葉を失うらしい。そして、、以下省略。
どうやら私はとんでもなく可哀相らしいのである。

確執のあった母親と、
その母親が呆けた事でやがて和解し、
苦しみから解き放たれる話は時にある。
(そういう本がたくさん出版されている)

しかしいきなり倒れてしまい、
意思疎通の出来ない寝たきりになった母と
どう対峙すればいいのだろう。
1つの文句も言う事もできない。

想いのたけをぶつけることは永遠に叶わない。和解もない。
(黒い感情を腹の中で練りまわし去年は倒れたっけ)
一番気の毒な形で生き残ってしまった母に、
自分の将来の姿を見、胸がはりさけそうになる。

そんなどうしようもないことが2つ3つ4つ5つ6つ(以下略)、
私には人よりずっと多いような気がするのは
私の精進が足りないせいなのか、感じ方が偏っているのか。

自分では考えてないつもり。
良いところ、明るいところを見て、
失くしたものより今あるものに感謝して、
なんでもいいように捉えよう、、、、、

んなもん出来るか〜〜〜っ!!!

そもそも私は8つ出来ても、
出来なかった後2つに落ち込むタチなのだ。
人に受けた仕打ちは忘れない執念深い性格で、
いつまでも根に持っている嫌〜な奴。

大嫌いだった中2の時の担任に通知簿に書かれたっけ、
「激しいものを持っているが、理性で抑えることは出来る」
そうそう、あんたの事大嫌いだったけど、
実は私の事よく見てたかもね。

もうね歳とって理性無くなってきたわ。
そして自分を騙す知性ももう限界よ。
明るく自分を騙している事実って、
気がつくと実はものすごく悲惨や〜ん!

とまあこの春はある日騙している自分の事実に愕然とし、
気力を無くしていったのであった。

と言いながらも前回の記事にあるように
結局は「のほほ〜〜ん」に
落ちつけようとする堂々巡りの私。
posted by えるか at 20:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

お墨付き

先週一週間は空白の日々となった。
結局、風邪と黄砂アレルギー(症状は花粉症)を併発
していたようだ。

血が混じる大量の鼻水、くしゃみ、
症状が進んで痰がなかなか切れない咳の苦しさ、
こんなに分かり易い症状は何年ぶりであろうか。

私の花粉症は目と皮膚に現れるし、
歳を感じてからは、
寒い冬、夜は外出しない、が功をそうしてか、
分かり易い症状が出る風邪は10年以上(20年?)ひいていない。
花粉症だけどマスクしたことない。
今回も熱は出なかった。

だるい、節々が痛い、喉が痛い、
これが私の風邪の初期症状で、
たいてい葛根湯と市販の風邪薬で一晩で治った(過去形)。

ところがここ10年「だるい」という症状が延々続く事が多く、
私としては風邪の初期症状なのだけれど、
咳を出ず熱も出ない、という事で、
医者からは不定愁訴と片付けられているように思う。
(はっきりと口には出さないけど抗生物質をくれない)

あるいは喉が腫れていても熱は出ず、
ただひたすらだるさが続き、
「なにかストレス抱えているんじゃないの?」
などと言われたこともあった。
「ストレスでは、」と言われると無いわけじゃないから
言葉をひっこめるしかないのである。

そんなに私はストレスだらけなのか、心が弱いのか、
と益々ウジウジとし、
最近では漢方医にさえ「だるい」と訴えなくなった。

そんなところに今回は大手を振っての症状である。
もちろん医者は抗生物質をくれたし、
私は心おきなく病気であることを確信しヘロヘロできた。

症状の辛さだけで、普段の心の辛さがふっとんだ。
ひたすら体の辛さに意識は集中、
今回は医者のお墨付きがあるのだ。
どうだ私は病気なんだ。なんと有り難いことであろう。
人間は1つのことしか考えられない感じられない、
という事を再認識。

一年中、体の病気ならいいかも、と
ばちあたりな事を考えたけど、
チェロも弾けず森にも行けず何も出来ないのだ、と思うと、
心は病んでも動けた方が有り難いということか。

どうして気がつけば同じことばっかり考えてしまうのか、
考えない振りしてても調子が悪くなってしまうのか、
「のほほんと生きる」
という事が出来る人をうらやましく思うのである。

のほほんと生きる。
憧れであり、これからの目標である。







posted by えるか at 15:27| 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

空気清浄機

突然、花粉症を発症したのは20年も前だ。
夜シーツの上に横になった途端、呼吸困難になった。
あれはびっくりした。

夫の勤めていた会社の空気清浄機なるものを早速備え付け、
生き返るようだと言った私に、花粉症のかけらもない夫は
ほんまに効くんやなあ、、、と感動していた。
身を持って効能を証明した出来た嫁であった。

それから果物アレルギーも発症し、
大好きなリンゴがある日突然食べられなくなった。
以来、柑橘類以外、果物は全部ダメ。

好きな食べ物は果物、を自認していた私には受難の日々が始まった。
やがて「一年中、抗ヒスタミン(アレルギー剤)を飲んでるよ」
という人が何人か現れ、以来、私も少量を一年中飲んでいる。

それがいい事なのか悪いことなのかわからないけれど、
確かに花粉症は楽になり、アレルゲンであるカモガヤ(イネ科雑草)
の横を通ってもマスクは要らず、イチゴは「とよなか」は食べられる、
(「あまおう」はダメ)ちょっと口腫れるけど、、。

今回、連休で次男一家が滞在、洗濯ものを油断した。
普段、自分のものは花粉が怖く、外には干さない。
しかし息子たちは花粉症でないゆえ、彼らの洗濯物を
タオルからなにから外に出したのが悪かった。

取りこんだパジャマを着た孫が横にきた途端、
ウッ、、、となった。が、
その時はまだそうとは気が付かなかったのだ、
何年もマシだったから。
彼らが帰ってから、一気にやってきて、、、、。以下省略。

昨日は連休明けで医者が混んでいるのは分かっていたが
我慢できるようなものではなく待合室は一杯で、
受付けはエラそうで感じ悪く3時間待った。

医者も疲れていたのだろう。常連でもない患者の私に
「たいしたことない」
としぶしぶ(そう見えた)抗ヒスタミンをくれた。
いやいや、そんなものは家にある。
症状は風邪に似ており、私は抗生物質が欲しく、
喉にルゴールを塗って欲しかったのだ。

だるい、頭痛い、鼻水とくしゃみが酷く、
喉がものすごく痛いのだ。
風邪かもしれん、とにかく早く治りたい。
しかし不機嫌そうな医者を前にそれをいう気力はなく、
すごすごと家に帰った。

薬局で3時間も待ったのにたしたことないと言われた、というと
気の毒そうに「黄砂アレルギーかもしれませんよ」
と薬剤師さんは言った。
そうだ、忙しすぎてニュースを見ておらず、
黄砂注意報が出ているのを知らなかったのだ。

そういうと
「娘がね、
 お母さん、黄砂注意報が出ているから洗濯物干したらだめよ、
 と言ってくれたから干さなかったの。
 ほら、私ひとり暮らしでしょう?」
と言っている人がいた。

なんだなんだ私もひとりだけど息子は私をこき使うばかりで
そんなこと言ってくれんぞ。が〜〜ん。

そして症状はどんどん酷くなりゆうべは咳で眠れなかった。
夜中の3時に薬箱をひっくりかえし、10年前に処方された咳止めを
見つけ出し、なんとかちょっとだけ寝た。

気付けば、一年中つけっぱなしの空気清浄機は
どうやらランプがついて音はしているけど機能していなかったようだ。
まんの悪い事に加湿器まで壊れた。

今日は朝から茫然としていた。
風邪なのか黄砂なのかもわからん。
とにかく壊れた空気清浄機と加湿器を買いに行きたい。
しかし空気清浄機は重い。
このだるさでとても持てそうにない。

今日は空気清浄機はあきらめて、せめて薬をゲットしたい。
再度あの医者に行って、また薬もらえなかったらどうしよう。
医者替えようか、でもどこにいっていいかもわからない。

午前中をどんよりと過ごし、
結局、また昨日の医者へ行き、
やっと抗生物質、咳止め、去痰剤、痛み止め、を貰えた。
ルゴールは塗ってくれなかった、
最近は塗らんのか?あれ一発で効くのに。

しかし貰った薬はあんまり効かない。
風邪なのか黄砂アレルギーなのかなんかわからんが今夜は眠りたい。
そして、明日こそ空気清浄機を買いに行きたい。


posted by えるか at 21:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

望み

『望み』 雫井脩介 著 角川書店

建築デザイン家の父親と、校正者の妻、
高校一年の息子、と私立受験を控えた中3の娘。
平穏で幸せなであったはずの一家は、
ある日を境に奈落の底に突き落とされる。

怪我でサッカーをやめてしまった息子は、
ある日、顔にあざを作って帰ってくるが、
父親も母親も思春期にはありがちな事と注意を払わなかった。
ところが夏休み明け、息子は2日連続帰って来ず、
そのまま連絡は途絶える。

息子の友人が惨殺死体で発見され、
行方不明の少年が3人。
そのうち犯人と目される少年は2人。
1人は殺害されている可能性が濃厚となる。

息子は犯人側なのか。
もし犯人なら殺人者だが、生きている。
被害者なら犯罪者ではないが、死んでいる。
結果がどちらに転んでも地獄のような日々が待っている。

母親は犯罪者でもいいから生きていて欲しいと願う。
有名私立高校の受験を控えた妹は被害者であることを願う。
殺人者の妹になりたくない。
父親は自分の息子が殺人を犯しているとはどうしても思いたくない。
しかしそれは同時に息子はもう死んでいる、
ということを望むということだ。

家のまわりにはマスコミがつめかけテレビカメラに追い回され、
ネットでも情報はあっという間に拡散し、娘は学校に行けなくなる。

世間からは息子は犯罪者として扱われるようになり、
父親は取引先を失う。
建築家としての人生はひっくり返ってしまった。

やがて真相があきらかに、、、、。

しょせん作りもの、と
このところ小説に食傷気味だったけど、
途中から入り込んで一気に読んだ。

被害者の家族だけでなく、加害者の家族もまた苦しみ何もかも失う。
深い哀しみと苦しみを背負って生きていくことになる。
家族はどうするべきだったのか、どう望むべきだったのか、、、
答えのない問いに衝撃的な結末が訪れる。
そして家族はそれを抱えて生きていくことになる。

他人事でない、普通の人たちに起こりうる事として
世間である読者は問われている。


posted by えるか at 21:32| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

二上山 

久しぶりに会う友人が、
金剛山か生駒山か二上山にハイキングはどう?と言う。

早速調べてみたが、
二上山が「ふたかみやま」では検索にひっからず
やっと「にじょうざん」で出てきた。(古代では「ふたかみやま」)

二上山は標高517メートルしかなく初心者むけの小山のようだ。
とはいえいくら初心者むけでも、
登山はギックリ腰あがりにはキツイかも、、と迷っていたのだが、、

ところがちょうどそのころ
「近藤ようこ」さんの漫画にハマっていて、
『死者の書』という折口信夫(おりくちしのぶ)原作の
上下巻のマンガを名前に惹かれて買っていたのだった。

民俗学者である折口信夫のことは知らないのであるが、
原作は難しくて絶対に読めないと想像出来た事と、
チベット密教の「死者の書」は読んだことがあり、
関係あるのかないのかわからなかったけど、
近藤ようこさん渾身の作という作品を読みたかったのだ。
(チベット密教とは関係なかったです)

その漫画の舞台がなんと二上山だった。
(これは縁がある、行くしかなかろう)と
行き先は二上山に決めた。

二上山はあたりの山と比べると丘のような小山で、
雄岳と雌岳が馬の背で横に連なり、なんか楽勝、という感じで
当日はりきって奈良県二上山駅に降り立った。

ところがいざ登り始めると小さいだけに、
かえって平坦な所が全く無く、
ひたすら急な登りがずっと続いて、青息吐息もいいとこだった。
「下りは苦手だけど登りは大丈夫」
なんて、もう言えませんわ。ヒィ〜〜ッ!!

頂上についたものの、この急こう配をまた下って行くのかと思うと
山頂のうれしさどころか、無事に下りられるのか、
膝は大丈夫か、不安と緊張で倒れそうだった。
(ひぃひぃ言いながらなんとか無事下山)

二上山は、彼岸には雄岳と雌岳の間に太陽が沈むところから
古代から神聖な山と崇められ、死者と現世の境の山であった。
奈良時代、天武天皇崩御の際、
謀反の疑いで殺された悲劇の皇子、大津皇子(おおつのみこ)の墓が
山頂付近にある。

その墓は宮内庁管轄のわりに、
無念の死であった悲劇の皇子の墓らしく簡素な墓で、
なにやら怨念の気配が漂っていたような気がしたのは、
漫画「死者の書」の読み過ぎか。

その時、友人が、
「たしか五木寛之が二上山の本を書いていたよ」
と教えてくれたのである。
『風の王国』(1985年発行)という題名を私は知らなかった。
(次男が産まれた年でこの頃ははやり歌も何もかもすっぽり抜けている)

帰ってから早速読んでみた。
(読んでから行けばよかった)と悔やまれたが、
フィクションながら
二上山が意味深長な山であったことがよくわかった。
登場人物の一人が「二上山だけには行きたくないんだ!!」
と吐き捨てるところは(行っちゃったよ、、)と青ざめたけど。

そんなわけで前回に続き、漫画、ハイキングのお誘い、小説、と
二上山がたまたま3つ重なって面白かった。
BSの五木寛之さんの番組を見たりしてちょこっと拡がりました。
この人は歳をとっても相変わらず素敵で絵になる人だ。
(五木寛之の百寺巡礼 BS朝日 木曜夜9時)

ちなみに地元出身の人に聞くと、
小学校の初めての登山は二上山で、
そのあと生駒山、金剛山とステップアップするそうである。
小学生低学年レベルでへたった私。








posted by えるか at 17:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

マティスとルオー 山田五郎・アートトーク

「マティスとルオー 友情の手紙」(友情50年の物語) みすず書房

フランスの画家アンリ・マティスとジョルジュ・ルオー。
国立美術学校で同窓だった2人は生涯にわたり親交があり
その手紙が発見されてこのたび出版されたそうだ。
有名な芸術家たちはどのような書簡を交わしたたろうか。

「有名人も、特別な能力や才能を持った、普通の人たちである」
という言葉を最近どこかで聞いて納得していたので、
彼らも人生色々あったであろう、、と興味深く読んだ。

とはいえマティスは知っていても、
恥ずかしながらルオーをほとんど知らず、そして本を読む限りでは、
マティスはその画風よりずっと上品な穏やかそうな人であり、
ルオーは画商との裁判で随分長く苦しんだようだ、
という印象だった。

出版された本はたくさんの注釈が多く、さほど詳しくない私には
完全に読み込むことは出来なかった。

今、あべのハルカスでマティスとルオーの美術展をやっている。
見に行ってみようかな、と思っていたところに美術館のHPに
『山田五郎 マティスとルオー アートトーク 270名 
 観覧券あれば無料 当日17:30から受け付け』
とあるのを見つけた。

山田五郎といえば
『BS日テレ ぶらぶら美術・博物館(金曜夜8時)』で
その博識とおぎやはぎとの絶妙トークで、毎週楽しみに見ている人ではないか。
小柄でメガネで丸っこい顔の頭の良さそうな人、という
実は何者なのかよくわからないマルチなタレントという印象です。

山田五郎みたさにあべのハルカスまで出掛けました。
夕方の美術館はそんなに混んでいるわけでもなく、
270名なら余裕だろうとぎりぎりに会場に行ったら、
長蛇の列で私はビリっけつであった。(皆、BS見てるんだなあ、、)

山田五郎さんの話は面白かった。
マティスとルオーの先生であるモローの話だけでかなりの時間を費やしてしまったが、
それが知らないことばかりで面白くて、
さすがザルツブルグ大学で西洋美術史を学んだだけのことはあると思った。
テレビでは標準語だけれど関西弁を使っていたので、
調べたら大阪の北野高校出身だった。そうでしたか。

ほんとうに面白かったので、
もっと会場はガハハと笑ったらいいのに、、と思ったけど
まわりはクスっとだけ笑ってたのはなぜだったか私がおかしいのか。

会場の照明のせいで山田五郎さんの上まで照明が消されてしまい、
暗がりの中、肝心の彼の顔はほとんどみることは出来なかった。
しかも終わってからも不備で観客側の照明だけが点いて
山田五郎さんは相変わらず真っ暗な中で挨拶されたのは、
つくづく残念だったけど興味深い話が聴けて良かったです。

ルオーは美術学校の一番の優等生、反してマティスは入学試験に落ち、
先生のモローに聴講生として受け入れられる。
学生の中で名を残したのはマティスとルオーの2人だけで、
その2人が生涯にわたって親交があったのは、

「お互いに売れたこと、これが男の場合重要で、
 画風は重ならず客の取り合いにもならず、
 つかず離れずのいい関係だった」
と山田五郎さんは言っていました。

ルオーが展覧会用に描いたギリシャ神話の石臼をひく誰か(忘れた)の絵は、
石臼がどう考えてもそれでは回らないだろうという描き方で
回し方の配置もヘンテコで、
「ルオーは石臼を見た事がなかったんですね〜」と山田さん。

そして先生のモローが、
「こうやった描くんだよ」
と石臼を回す絵を描いていたという話は笑いました。
持ち時間1時間を少しオーバーして話してくれたけど
もっと聴きたかったわ〜。話上手いです。

今回、たまたま本を読んで美術展があって山田五郎さんが来て、
と3つ重なって行くことになったけど、
最近もうひとつ3つ重なったことがあったので、
次回それを書きたいと思います。

ルオーは亡くなった時、国葬だったそうだ。
画家の国葬ってすごいですね。

posted by えるか at 22:39| 芸術 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

ゴロゴロする

このところ毎朝イヤな気分で寝覚める、と言ったら、
「寝具を替えてみたら」という助言を頂いた。

そう、布団は夜の間に私の悪い気を全部吸っている。
ここへ来てから楽しい気分で眠ったことはない。
昼間はなんとか押えていても意識無意識における負の気を
私の布団は吸いに吸いまくっているのだ。
道理で重くへたってきたはずである。

考えるに、ここへ引っ越してきた時、ほとんどの物を買い替えたのに
ベッドまで手がまわらなかった。

人生の半分は眠っている。
おまけに人一倍眠ることにこだわっているというのに、
なんとも片手落ちではないか。本末転倒、灯台もと暗し(?)。

そのうち替えようと思っていたけど(壊れているわけではなし贅沢だ)
と替える機を逸していたのである。
ベッド、マット、寝具一式を替えるとなると
かなりの金額になる、、、、むむむ、、、。

しかし心機一転、がらりと替えたら気が晴れるのではないか、
負の気分は無くなるのではないか、
明るい未来が待っているのではないか。
、、でもでも、、、、

と、うじうじと迷っているうちに、今度は、
「朝起きると、羽毛布団の上でごろごろと転がり、
 空気を押し出し、睡眠中の水分などを飛ばしている」
というお話を知った。
布団は新しい空気を吸い、ふっくらとするそうである。

これだ!ゴロゴロだけなら無料ではないか。
夜の間の悪い気を追い出し、
新しい空気を入れるのだ。素晴らしい!

早速やってみたところ、
体を回転させるなど何十年もやっておらず、
吐き気とめまいの一歩手前、、。
仕方なく布団の上でバタバタと蠢いた。かなり不完全ゴロゴロ。

最近はなんとか慣れ、ゆっくりと回転。
春になったので窓も明け放ち、
新しい一日の空気を布団にも吸わせているのである。

それで滅入った気分が無くなったかというとそうでもなく、
やはり買い替えか、、、と逡巡する毎日。

posted by えるか at 21:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

変でもよろし?

この半年以上ずっと頭にあった事。
「あなたって時々変なことを言う」

月に一度通っている漢方の先生に言われたことが
頭にひっかってそれからもやもやと考えていた。

「変なこと」
つまりそれは歪んだ事を言う、という事だろう。
(歪んでいる?)私はかなりショックを受け、
どういう所がだろう、とずっと考え続けた。

思い当たることはないでもなかったけど、
それではないかもしれない。
自分で自覚してないことだから変な事、と言われるのだ。

知人に言われただけだったら気にしなかったと思う。
(あんたこそおかしいやろ、、)
ときっと後で恨みに思うだけだったろう。

人は皆ちょっとずつ変わっている。
普通ってなんだろう。
所により場所により時代により、当たり前と普通は変わってくる。

自分の周りにいる人たちもかなり色んな人がいるなあ、
と年々よりいっそう強く思う。
親しい人を、この人はこんな考えの人だったのか、、
と仰天することも少なくない。

歳を重ねるにつれ、ますます誰ひとり、
同じ育ち、境遇、価値観の人は居ないと気付く。

自分のまわりはまだそれでも少しは似たところもあるけれど、
世間は広い。
ちょっと違う所へ行けばそこにはまた全然違う価値観を持った人たちが
ほんとうに沢山いるのだ、ということに
いまだに私は日々びっくりしたりしているのだ。

おかしな変わった人も向こうの人たちから見れば
私はなんやら訳のわからん変わった人たちのグループにいるのであろう。

しかしながら漢方の先生は沢山の人を診察し、
私なんかよりはよほど色んな世界の人たちを見ているだろう。
その先生に「時々おかしなことを言う」
と言われてかなり落ち込みました。

そのことを先日言うと、
「あら、そんな事いった?ごめんなさい〜。
 気をつけないとね〜。私も変わっているのよ〜
 あなたは素直な人なのよ〜」
と慌てていたけど、もう遅い、、。

でもまあ思うんだけど、
自分が普通である、とか、立ち位置をそれなりに把握している、
と気を遣うことは無駄である、と気がついた。
自分が何処にいるのかは、やっぱり分からない。諸行無常。

考えてみたら自分が思うより、ずっと私は世間の片隅に住んでいる。
まあまあ出来のいい子どもだったと思うけど、
人生はコケにコケて今では夫無し家族なし仕事なしの
主婦でもなく仕事人でもない、人から見たらあの人は何者なのか、
噂のひとつふたつもされていよう身の上だ。

変わっていて結構、歪みもするわ。
コケている自覚がイマイチ足りなかった。
自分でそれをちゃんと自覚して、
端っこでもうよしとしよう。

でも変な事は出来るだけ言わないように気をつけますです。

posted by えるか at 17:07| 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする